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【フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」】第35回

フレンチ出身の若き「変態」が作る「伝統と革新」……対極をなす2つのラーメン、そして「賄い」 らーめん稲荷屋(東京・稲荷町)(前編)

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 私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏愛に溢れた「物語」を紹介します。

「お待たせしました、ラパンのフリカッセです。フリカッセにすることで、ラパンの癖は消してますので、抵抗なく食べられると思います。アイテムはフレッシュキノコを色々と。トランペット、セップ、ラクテール。キノコの香りがポイントなので、是非混ぜてお召し上がりください!」

 朗々と謳い上げるように説明をしてくれる店主。説明はとても丁寧で、「あぁ、この店主は本当に料理が好きなんだな」と人柄がよくにじみ出ています。

 ただし……

「何言ってるか全然分からないんですけどー! てか、私はラーメン屋に来たハズなんですけどー!!(笑)」

 そう、ここは紛れもないラーメン店です。その証拠に外観はコチラ。

 今時逆に珍しいくらい、ベタベタなラーメン屋さんの店構えです。店名も「らーめん稲荷屋」とこれでもか、というくらいドストレート。ところがこの外観から予想だにしない、これまでどこでもお目にかかったことのないような、とんでもないラーメンが提供されているのです。

 ちなみに、冒頭の「ラパンのフリカッセ」はコチラ。

 どうです、こんなラーメン見たことないでしょ?(笑) ラパンとはフランス語でウサギ。フリカッセとはフランスの家庭料理で、肉や魚をホワイトソースで煮込んだもの。トランペット、セップ、ラクテールはいずれもフランス料理でよく使われる食材であるキノコ。そう、コチラの店主は、元フランス料理のコックなのです。

 そんな店主が、自分が持ち得るフレンチの技術を惜しみなく注ぎ込んだ一杯は、もはやラーメンではないような見た目ですが、食べるとちゃんとラーメンらしさを感じる、絶妙なバランスを保っています。何より、フレンチの調理技術や食材と融合されたラーメンは、これまで食べたことのない新たな旨味の世界に誘ってくれます。

「ムール貝のスープとカダイフの巣卵を模した野菜の卵」

「カリフラワーのアイスとグリンピースのポタージュ」

「黒毛和牛スープ 洋風仕立て」

 これらのラーメンを目の当たりにした時に、私はいつも店主にこう言ってしまいます。

「ココ、ラーメン屋さんですよね?(笑)」

 実際、私はこの前代未聞のルックスと味を誇るラーメンにすっかり魅了されてしまい、店主が放つ限定を追いかけて、自分のTwitter(https://twitter.com/ekiaka)にも多数アップしているのですが、その結果、他のラーメン店に行っても、そこの店主さんたちから「『稲荷屋』の限定、美味いですか?」「どんな店主さんなんですか?」と聞かれることが物凄く増えました。ラーメンフリークだけでなく、同業の店主さんたちも一目置く、そんな今話題のラーメンなのです。

 というわけで今回は、本格的にフレンチを学んでいた店主が、なぜこのような前代未聞の斬新なラーメンを作るようになったのか? そもそもなぜラーメン店をやろうと思ったのか? その秘密を紐解きながら、店主の作るラーメンの魅力と、店主から感じる変態性(笑)について迫りたいと思います。

 今回、私が「物語」を紡ぐのは、「らーめん稲荷屋」です。

 店主の名前は高橋謙太さん。1988年生まれの32歳。ラーメン業界においては新世代というべき若手です。

 千葉県船橋市の出身で、小さい頃から人見知りでしたが、レゴブロックや工作など、モノ作りが大好きな少年でした。母方のおばあちゃんの作るごはんが大好きで、両親が共働きだったこともあり、ナント小学5年生で自炊を始めます。モノ作りが好きだったこともあり、高橋少年はどんどん料理にのめり込みました。

 中学2年生の頃にはもう「これしかない」と料理の道に進むことを決意し、調理科のある高校に進学。高校時代に調理師免許を取得することはできたのですが、高卒ではなかなか仕事がなく、1年間辻調理師専門学校に通い、興味のあったフレンチ・イタリアンを学びました。

 そして、ホテルやゲストハウスなどの結婚式場を全国展開する大手企業のレストラン部門に就職が決まります。元々ホテルのシェフに憧れていた高橋さんにとって、念願叶った形となりました。が、いざ働き始めると、そこはとんでもない戦場だったのです。

 料理人の仕事において、いわゆる街場のレストランと大箱の結婚式場の最大の違いは、仕込む料理の量です。高橋さんは最初、赤坂のゲストハウスに配属されたのですが、そこでは1日2000人分の料理を作る必要がありました。しかもフレンチのコースなので、前菜2品・口直し・魚料理・肉料理で、1人あたり5皿。つまり1日に1万皿もの料理をたった5〜6名のコックたちで仕込まなければならなかったのです。「まだ新人なので」などという甘えは一切許されない環境でした。「毎日が修羅場のようだった」と、高橋さんは振り返ります。

 ただ、材料を切ったり火を入れたりという料理の基本となる作業を、普通のレストランとは段違いの量をこなしたことで、高橋さんは若くして確かな技術を見つけることができました。そして、たくさんの種類の食材に大量に触れることができたのも、大箱ならではのことで、とても貴重な経験でした。

 また、各地に多くのレストランやゲストハウスを抱える企業だったため、高橋さんは赤坂以外にも、青山、お台場、千葉、新浦安と、多くの式場に行きました。するとそこにはたくさんの料理人の先輩がいて、色々なことを教わることができました。

「料理人はテキストであり、その数だけレシピがある」

 そう考えた高橋さんは、先輩料理人からひとつでも多くのことを貪欲に吸収しようと心掛けました。

 さらに、大手企業だから得られる恩恵はこれだけでありませんでした。普通のレストランだったら、料理人自身が食べる賄い料理は、だいたいその日の食材の余り物を使って作ることがほとんどです。ところが、高橋さんの会社には多数のスタッフがいて、賄いを作るにもそれなりの量が必要だったため、賄いのために専用の食材を注文することが許されていました。よってこの会社では、新人コックが自分の作りたいモノや、先輩から指示されたモノを「賄い」として作って、先輩のシェフに食べてもらって感想をもらうという習慣が根付いていたのです。

 新人にとって貴重な勉強の場ではありましたが、そこは先輩が優しく教えてくれるような生易しい環境ではなく、一生懸命作った賄いを「料理になってない」と捨てられることもザラだったそうです。高橋さんもそんな厳しい目に遭いながらも、先輩になんとか自分のことを認めさせるために、「賄い」に全ての情熱を注ぎ込みました。

「なにクソと思って、正直本番の料理よりもはるかに真剣に作りましたよ(笑)」

 現在の高橋さんが、若くして多数の引き出しを持つ理由は、本人の努力はもちろんのこと、このような境遇から得たモノも大きかったのです。そして、この「賄い」というのが、今後の高橋さんの料理人生において、重要なキーワードとなっていきます。

 こうして5年に渡って勤めあげた高橋さん。フレンチの料理人としてそれなりの技術を身に付けることはできましたが、同時にある「想い」が去来するようになりました。高橋さんの会社は200名以上のコックを抱えていて、そのコックたちがチームとなって、大量の料理を効率よく作り上げていきます。そこに自分のこだわりを持つことは、多くの場面において邪魔になることが多いのです。高橋さんの会社において、コックという仕事は、料理によって自己表現をする場でなく、あくまでもサービス業なのです。

 そのような考え方に染まりすぎてしまった高橋さんは、いつしか自分の考えや主張を持つことを放棄していることに気づいたのです。もちろん、決められた料理を、高品質にスピーディーに量産できるコックも素晴らしい職人です。しかし、高橋さんはもう少し違う料理の世界も覗いてみたいと考えるようになっていました。

 意を決した高橋さんは、会社を辞めました。そして、まずは料理のジャンルやお店の規模にこだわらず、色々なお店を見てみようと思い、中規模の居酒屋チェーン店に就職しました。なかなか大胆な転職ですが、これには高橋さんなりの狙いがありました。

「自分がこれまで相手にしてきたお客さんは、それなりの金額を払う必要がある結婚式やパーティーなどに集まる、それなりの階層のお客さんでした。働いているのもみんなプロで、いわばとても恵まれた環境でした。そうではなく、街場の居酒屋で、クダを巻くお客さんを相手にしたり、プロ意識もないバイトの子と一緒に働くことで、自分に足りないモノが見えてくるかなと思ったのです」

 この時、高橋さんはまだ24歳。若いのに立派すぎる考えです! 私が24歳の時なんてまだADで、どうやってサボってラーメン屋に行くかしか考えてなかったのに(笑) 感心した私はたいして考えもせずに、「若いのにそこまで思考が至るなんてまさに天才だね」なんて言葉をポロリとこぼしました。すると、

「いや、違いますよ。天才じゃないからこそ考えることができたんですよ。天才ってのはほとんど考えもしないで正解を出してしまう。でも、自分は凡人なので、人よりも考えないと答えを導き出すことができないのです。とにかく物事を曖昧にせずに、『なんで、なんで』と常に自問自答して答えを導き出す。そうやって自分に足りないモノを見つけて補うよう、今も心掛けています」

 なるほど、おっしゃる通りです。私は自分の浅薄な考えを反省しつつ、「高橋さんを形容する言葉として、天才ではないとしたら、何というのが相応しいのか?」と考えました。その結果導き出した答えは……「変態」でした(笑)

 いや、冗談ではなく、最高の誉め言葉として、「変態」と言いたいのです。だって、24歳の若さでここまでしっかり考えられているのはやはり普通ではないですし、何より冒頭にも触れたような突拍子もないラーメンを作ってしまう高橋さんは、どう考えても「変態」です!

 すいません、ちょいと脇道に逸れましたので、話を戻したいと思います。

 居酒屋チェーン店の店長として、バイトの人たちの使い方からお店の運営までを見るようになって視野が広がった高橋さんは、それと同時に、知り合いの料理人のお店にもヘルプで入ったりもしました。ジャンルは多岐に渡り、フレンチやイタリアンからそれこそラーメン店まで。そのお店はほとんどが個人店だったので、個人経営についても学ぶことができました。とにかく、自分に足りないと思ったことは片っ端から貪欲に吸収したのです。

 こうして、ひたすら経験と知識を蓄えること1年半。26歳になった高橋さんは、いよいよ「自分のお店を持とう」と決意します。選んだのは「ラーメン店」でした。さぁ、最大の疑問をぶつける時間になりました。

「フレンチの料理人をやって、その後様々な料理に携わった高橋さんは、なぜあえてラーメン店をやろうと思ったんですか?」

 すると、意外過ぎる答えが返ってきたのです。

「色んなジャンルのお店を見てきて、ラーメン店が一番開業にお金がかからなかったからです」

 えっ、そんな理由!? ここまでストイックに自問自答を繰り返して、自分に足りないモノを追い求めてきた男の集大成が、そんな感じでいいんですか!?

「そもそも自分は多少フレンチをかじった程度で、それ一本でやっていける技術も経験もありませんから。とにかく『自分のお店を持って自分の料理を作りたい』という気持ちが強くて、それが具現化できるならば、実際に作る料理は何でもよかったんです。だからラーメンは手段でしかありませんでした。こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれませんが、でもそれが本音です」

「とにかく料理が作りたい。料理だったら何でもいい」。なるほど、ラーメン店を志す多くの人がラーメンへの熱い想いを持っていることを考えると、正直想像のナナメ上を行く答えでした。しかし、ここまで高橋さんの「物語」を紐解いてくると、実に高橋さんらしい考え方なのだなと納得できました。

 実際のところ、現在高橋さんは他のラーメン店とは明らかに一線を画す、圧倒的なオリジナリティを誇るラーメンを量産していて、それが多くのラーメンファンを魅了しています。高橋さんが「潔いくらいラーメンへのこだわりがない」からこそ、前例にとらわれない柔軟な発想で人気を誇っているのは間違いありません。結果が全てを物語っています。

 こうして、照準はラーメンに絞られました。もちろん、「とりあえずラーメンを作れれば味は何でもいい」というワケではありません。ここから「お客さんを喜ばす、そして自分が納得できるラーメン」を作り出すために、高橋さんの研究が徹底的に始まったのです。

 作りたい具体的なラーメンがあるワケではない高橋さんは、まず物件を決めて、その客層に合ったラーメンを作ろうと考えました。都内近郊の色々な街を見た結果、現在の物件を見つけました。台東区の稲荷町。上野と浅草の間。仏壇屋街として有名です。平日のランチ時は40~50代の男性サラリーマンを中心に近隣の飲食店が賑わってます。周囲に目立った競合店はありませんでした。土日はあまり人通りがありませんが、その時間を使って試作に明け暮れたいと思っていたので、むしろ好都合だと考えました。

 翌年に開店を控えた2014年末、本格的にラーメン作りに着手しました。「歴史のある町で中年男性が好む味」ということで、オーソドックスな醤油ラーメンが相応しいと考えた高橋さんは、豚の背ガラ・鶏・乾物・野菜をベースとした清湯スープ。そして、働き盛りの人たちも多いので、清湯スープに背脂を浮かせた一杯も加えて、2種類のラーメンで勝負することにしました。

「醤油ラーメン」

「醤油背脂ラーメン」

 また、高橋さん自身がワンタンが好きだったのと、当時ワンタンを入れるラーメン店が少なかったので、トッピングでワンタンを作ることに。皮で食べさせるタイプではなく、肉の餡がたくさん入ったボリューム満点なモノにしました。

「ワンタン麺」

肉餡がたっぷり詰まった絶品のワンタン

 ラーメン作りは全て独学で行ないました。他のラーメン店にもほぼ食べに行きませんでした。フレンチの料理人時代、色々な式場にヘルプで入って、そこのシェフの指示に忠実に従って料理を作ることに慣れていた高橋さん。「自分は他からの影響を過剰に受けやすい」と自覚していたので、徹底的に周囲からの情報を遮断して、「自分が美味しいと思う味」を追求することにしたのです。

 2015年3月。27歳になった高橋さんは「らーめん稲荷屋」をオープンさせました。稲荷町にあるから「稲荷屋」。一見こだわりも何もないような店名ですが、「せっかく美味しいと思ってもらっても、店名を覚えてもらわなければ意味がない」と、あえて一度聞いたら覚えられる至極シンプルな店名にしました。看板も正直オシャレ感はゼロですが(笑)、誰が見ても一目でラーメン店だと分かるデザインに仕上げました。とにかく分かりやすさを重視したのです。

 こうやって説明を受けると納得感はあるものの、実際にここまで迷いなく振り切ってしまうあたりにはやはり、「変態性」を感じてなりません(笑)

前のお店の看板が黄色ベースだったので、それをそのまま使うことで製作費を節約した、とのこと

 一切の宣伝もなくひっそりとオープンしたので、当初は全くお客さんが来ませんでした。ただ、高橋さんは全く焦ることなく、むしろ「お客が来ない時間を試作に当てられる」と、前向きにとらえていました。オープンはしたものの、なにせ初めて本格的にラーメンを作ったばかりなので、もっともっと研究したいと思っていたのです。このあたりも、大物の余裕と捉えるべきか、やはり「変態」と言うべきか……(笑)

 作りたいのはあくまでもシンプルかつオーソドックスなラーメンだったので、食材を増やしても仕方ないと思った高橋さん。食材は変えずに、その分量を色々と変えながら味を組み立てていきました。試行錯誤しているうちに、「豚を抜いて鶏だけにした方がシャープになるのでは?」「だとしたらいっそ野菜も抜いてしまって、鶏の旨味だけに絞った方がより味が立つのでは?」と次々と余計なものを抜いていきました。こうして残ったのは鶏と水だけ。そう、高橋さんは完全な独学で結果的に「鶏と水」のラーメンに到達したのです。

 のちに某ラーメン店主と交流を持つようになって、作り方を聞いた時に、そこの店主も「鶏と水」のラーメンを作っていたので、「あっ、自分の作り方は合っていたのだ」と安心したそうです(笑)

 そして、高橋さんはカエシに使う醤油にこだわりました。というのも、地元のお客さんの嗜好性を調べるために、浅草界隈を歩いてみると、お団子屋さんでは、みたらしやあんこよりも生醤油の焼き団子の方がポピュラーであったり、お蕎麦屋さんでは、濃口醤油のしょっぱいつけ汁のお店が多かったり、「浅草は醤油文化」だということがよく分かったのです。

「醤油のインパクトをしっかり立たせたラーメンを作れば、醤油好きの地元のお客さんに気に入ってもらえるハズ」

 そう考えた高橋さんは、たくさんの醤油を取り寄せて研究を重ねた結果、「殺す醤油」と「生かす醤油」という考え方に至りました。「殺す醤油」とは加熱する醤油。つまり、カエシとして温かい出汁と合わせることで、まろやかな旨味が広がる醤油のことです。一方「生かす醤油」とは、熱を入れない醤油。つまり、提供の直前で垂らすことで、キリッとした一口目のインパクトを与える醤油のことです。

 「鶏と水」の研ぎ澄まされた出汁に、こだわりの2種類の醤油を合わせることでブラッシュアップされた高橋さんのラーメン。その美味しさは地元のお客さんの間で口コミで広がり、徐々に客足も伸びてきました。すると、すぐさま次なる問題に直面することとなったのです。

 チャーシューはバラ肉の大判なロールチャーシューを入れていたのですが、これがメインターゲットの40~50代のお客さんにはクドかったようで、残されることが頻発したのです。すぐさま高橋さんは、脂身の少ない肩ロースに切り替えることにしました。ただ、そのまま煮たり焼いたりするとパサついてしまって美味しくありません。

 そこで高橋さんはフレンチの技法を取り入れて、あるチャーシューを作ったところ、コレがお客さんだけにとどまらず、これまで全く交流のなかった周囲のラーメン店主の間でも話題となったのです――。

 というわけで、前編はここまでです。後編では、このチャーシューをきっかけに、高橋さんのラーメンがさらなる進化を遂げていった過程を紡いでいきます。地元のお客さんのために、シンプルな醤油ラーメンを作っていた高橋さんが、なぜ今フレンチの技術を惜しみなく注ぎ込んだ独創的なラーメンを作るようになったのか? その秘密を紐解いていくと、高橋さんのさらなる「変態性」が垣間見えてきたのです(笑) 後編もお楽しみに!

赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)

2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。

百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/

本人Twitter @ekiaka

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