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【フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」】第33回

「二郎」「さぶちゃん」……偉大なる2つの名店の遺伝子を継承する男が初めて語る過去と未来 のスた(東京・大井町)(中編)

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 私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏愛に溢れた「物語」を紹介します。

 「ラーメン二郎」と「さぶちゃん」。

 偉大なる2つの名店でラーメンを学ぶという、奇跡のような経験を積み、現在「のスた」でその2店舗のイズムを継承したラーメンを提供する山中正人店主。20年に渡って、これまで2つのお店への想いを語ることはなかった山中さんが、今回初めて重い口を開いてくださいました。最初で最後かもしれない山中さんへの貴重な取材と、私のささやかな「のスた」体験を元に紡ぐ「物語」。中編スタートです!

現在、大井町に店舗を構える「のスた」

「のスた」で提供されているラーメン

 (※前回までのあらすじ)

「ラーメン二郎 目黒店」で、4年に渡って仕込みを担当しながらラーメン作りを学び、その後今はなき神保町の「さぶちゃん」でラーメン作りを学んだ山中さんは、1999年、大井町に「凛」をオープンさせました。偉大なる2つの名店で、全く系統の違う2つのラーメンを習得した山中さんは、一体どんなラーメンで勝負したのでしょうか──。

山中正人店主

 開店当初、山中さんは「さぶちゃん」で学んだラーメンをベースとしたモノを提供することにしました。「さぶちゃん」の生姜の効いた醤油スープに自家製の細麺を合わせて、「さぶちゃん」ではモモ肉だったチャーシューを、もっとガッツリしたものにしたいと、バラ肉を巻いた大判のモノにしました。そして、代名詞である「半チャン」も、「おじさん」こと木下さんの作り方を忠実に守りながら提供していました。

「さぶちゃん」をベースに作られた当時のラーメン

現在「のスた」でも提供されている「半チャン」

 その後すぐ、山中さんは「さぶちゃん」のスープをベースに、オリジナルの塩ダレを開発して、塩味を作り上げました。鶏と豚の旨味に生姜の効いた、清湯ながらも分厚いスープに、切れ味鋭い塩ダレを合わせ、その上に黄金に輝く鶏油を纏わせた一杯。ベースに「さぶちゃん」を感じつつも全く違った顔を持つ、山中さんのオリジナリティが溢れる傑作です。時代と共に多少の味の変化はありつつも、コチラは今も色褪せることなく、「のスた」の人気メニューとして君臨しています。

当時の塩ラーメン

 この2つで提供し始めると、その美味しさが口コミで広がり、お店は混雑するようになりました。そこで山中さんはさらに、夜営業限定で「賄い1」というメニューを開始。これは清湯ながら魚介系の強めの出汁を取り、旨味調味料も一切使用していない、まさに今流行っている味の先駆けとなるようなラーメンでした。しかし、時代が早すぎたのか、全く売れなかったそうです。

 まだまだ作りたいラーメンがあった山中さんは間髪入れず、「賄い1」に続き、「賄い2」というメニューを開始しました。これが「二郎」での修業経験を生かした、自分なりに「二郎の味」を表現したラーメン。まさにオープン前から、山中さんがずっと温めていた一杯でした。今から20年以上前、直系以外のお店で「二郎の味のラーメン」を提供したこと自体、おそらく初めてのこと。しかも、見よう見真似ではなく、本家で磨いた確かな技術で作られる本格的な味です。

 「二郎」といえば、ニンニクの有無・ヤサイの量・アブラの量・味の濃さ(カラメ)を聞かれて、自分の好みにすることができますが、山中さんの作る「賄い2」は、「ニンニクを入れるか入れないか」以外の好みは一切受け付けていませんでした。というのも、全て当時の山中さん自身の好みに合わせた形で提供されていたのです。結果、ヤサイ・アブラもかなり増されて丼から溢れんばかりの、というか溢れ出た(笑)、濃い味の大変狂暴なモノに仕上がっていたのです。

よく丼から溢れていた(笑)「賄い2」

 さらに、このラーメンをベースにして、醤油味だけではなく、塩味・味噌・ポン酢・カレー・チーズ・キムチ・担々麺・汁なしなど、様々な味を生み出しました。これは、山中さんが目黒時代に、まさに「賄い」として様々な味のラーメンを作っていた経験を元に完成させたものでした。今でこそ変わり種の二郎系を出すお店を多数見かけるようになりましたが、山中さんはナント、上記のようなバリエーション豊かな味を全て、2001年くらいには作り出して提供したワケです。その先見性は目を見張るものがあります。

人気メニューだった「カレー」

「汁なし辛味噌」

 「『二郎』と『さぶちゃん』の味をそのまま出しても意味がない」。そう考えた山中さんは、それまで見たことのない斬新なアレンジを施すことで、強烈な独自性を打ち出したのです。

 そして、その独自性はスープだけにとどまりませんでした。麺も自家製にこだわって製麺機を購入。機械の構造から徹底的に研究し、時に改造も加えながら、オリジナルの麺を模索しました。一般的に麺の太さは、切り出す切刃の番手を変えることで違いを出しますが、当時山中さんは、細麺と同じ切刃を使って太麺を切り出していました。麺帯を圧縮することで、細麺の切刃でカットしても縮れながら膨らんで太くなるのです。このような圧縮と膨張を利用して、力強い麺を打っていました。

現在も日々改良が加えられている自家製麺

 このように、偉大なる2店の進化型とも言える味を打ち出した「凛」は、オープン1年足らずで行列のできる人気店に。勢いに乗る山中さんは、翌2001年に大崎に2店舗をオープンさせました。このお店を絶対に成功させたいと思った山中さんはナント、大井町の本店を閉めて、大崎店が軌道に乗るまで、自らこちらの厨房に立つことにしたのです。

 山中さんの予定では、大崎店ですぐに人を育てて、お店を任せて自分は大井町の本店に戻るつもりでした。ところが、人がなかなか育たず、山中さんは本店に戻れなくなり、結果4年にも渡って大崎店にいることになってしまったのです。その間、大井町の本店は弟さんが間借りする形で、「菱屋」という屋号で営業されていました。

 4年の間に、山中さんの元には、「二郎であって二郎でない」「さぶちゃんであってさぶちゃんではない」という唯一無二の味に惚れ込んだ弟子志願者が何人も集まり出していました。その中には、後に「凛 渋谷店」や「のスた OSAKA」の店主となる人たちもいて、この頃から渋谷や大阪への出店も視野に入れ始めていました。そして、「後進の指導を考えると、大崎にいるよりは大井町のお店に戻った方がいい」と判断した山中さんは、2005年7月、大井町に戻ることを決めたのです。

 さらに、この本店再開のタイミングで店名を変えることを決意。これまでの「凛」から「のスた」としました。全くの別店舗と勘違いされないように、今でも「のスた」の後ろに「凛 本店」という表記を付けることがありますが、実際の店名はこの時以来、「のスタ」のみになったのです。

「のスた」の文字が掲げられた看板。ナント書道家・武田双雲氏によるもの

支店の「のスた OSAKA」は暖簾のメニューまで双雲氏がしたためている

 この「のスた」という言葉。どういう意味なのか? なぜ「ス」だけカタカナなのか? 私は長年お店に通いながらも、当時の山中さんには全く聞ける空気ではなく(笑)、ずっと気になっていました。それを今回ようやく聞けたのです!

 最初山中さんからは「全くたいした意味はないので、教える程でもないんですよ」と渋られたのですが、何とか拝み倒して、重い口を開いていただきました(笑)

 「『の』んびり、『の』びのび、『ス』トレスを『た』めず、『た』のしくやる。この頭文字を取って『のスた』ってだけのことなんです。わざわざ他人に説明するのも恥ずかしいような理由なんです(笑)」

 いやいや、そんなことなんですよ! なるほど、ストレスの「ス」だからカタカナだったんですね! 昨今ラーメン界では「ノスタルジー系」というジャンルが生まれ(そもそも「ノスタルジー系って何だよ?」というツッコミはさておき・笑)、それを略して「ノス系」「ノスタ系」と言われることがあります。「のスた」も「ノスタルジー」から付けられたと勘違いされる方もいらっしゃるようですが、それは全くの見当違いだとこれでハッキリとしました。

 一見ただの頭文字の寄せ集めのように思いますが、オープンからひたすら突っ走ってきた山中さんが、気負い過ぎていたこれまでの5年間を振り返って導き出した言葉だと思うと、なかなか感慨深いものがあります。「実際この言葉の通り、肩の力を抜いて営業していなかったら、今頃辞めていたと思います」と語る程、この頃の山中さんは疲れ切っていました。

 具現化したいアイデアが山のようにあって、それを求めるお客さんがたくさんいて、当時30歳前後の若き男が突っ走りたくなる気持ちはよく分かります。自分の高き理想に追いついてこないスタッフたちに厳しく当たることもあったでしょう。上手く立ち振る舞えない自分を責めたこともあったでしょう。そんな厳しい5年間を経験し、「このままでは潰れるぞ」と気づき立ち止まることができたからこそ、今の山中さんがあると言えます。そんな想いが「のスた」という言葉に凝縮されているのです。

改名を機に「凛」のテントも外してワインレッドに変更

 こうして心機一転、新たな本店「のスた」でのびのび楽しくラーメンと向き合うことにした山中さん。弟子たちも育ってきたこともあり、2008年に「凛 蒲田店」(現在は閉店)、2011年に「凛 渋谷店」、「のスた OSAKA」、2012年に「凛 砂町店」、2013年に「凛 名古屋塩釜口店」(現在は閉店)と、次々に支店をオープンさせていきます。一方、「凛 大崎店」は当時のスタッフに売却しました。

 現在、3店舗の支店は全て独立させて、やり方もそれぞれの店主に任せています。その結果、「凛 砂町店」では家族連れのお客さんが多いという土地柄を考えて、キッズラーメンを作って提供したり、「のスた OSAKA」では積極的に限定メニューを考案し提供しています。肩の力が抜けた山中さんが、それぞれの店主を信頼し一任するようになったからこそ、支店の独自性が生まれてきたのです。

 その一方で、支店で限定メニューを出す際には、そのレシピや作り方について支店店主は細かく山中さんに相談しますし、場合によっては山中さんに直接教わるために本店を訪れています。支店を信頼して自由にやらせる山中さんと、その信頼に応えて独自性を出しながらも、常に山中さんを慕いリスペクトを忘れない支店店主たち。「チームのスた」の結束力はとても堅固です。

「凛 砂町店」のキッズラーメン(左)は500円

「凛 渋谷店」は若者客で賑わう

「のスた OSAKA」の好評だった限定「賄いFIRE」

 2012年、山中さんは新たな試みを始めます。これまで1店舗で「太麺」も「細麺」も提供していたのですが、隣の物件を借りて、隣同士の2店舗で分けて、それぞれで「太麺」と「細麺」を提供するようにしたのです。「太麺」はこれまで通り「のスた」で提供し、新たに借りた隣の店舗を「ラ・ズンバ」と名付け、こちらで「細麺」を提供しました。このように実質1店舗が入口を2つ作って、それぞれで別々のラーメンを提供するというスタイルは、今では見かけるようになりましたが、当時は相当斬新だったと記憶しています。

「のスた」に併設する形でオープンした「ラ・ズンバ」

 この「ラ・ズンバ」では元々の「細麺」をさらに進化させて、旨味調味料を一切使わずに、出汁の旨味にこだわりました。とにかく大量の素材をぶち込んで、白湯というべき濃度までドロドロに煮込んで仕上げたのです。まさに旨味の塊。実はオープン当初、「賄い1」を出してた時に、そのスープをドロドロに煮込んで「特濃」という形で提供していたことがあり、それをイメージしたモノ。山中さん自身も「自分が作ったモノの中で一番旨かった」という程、手応えを感じる一杯でした。

一目で濃厚なのが分かる「ラ・ズンバ」の「醤油」

親鶏の鶏油で黄金に輝く「塩」

 しかし、2013年1月、山中さんは最大のアクシデントに見舞われます。「のスた」が火元となって火事を起こしてしまったのです。その時、山中さんはお店におらず、ちょうど車で福島に向かっていたのですが、連絡を受けて大急ぎで東京に引き返しました。

 幸い発見が早く、大きな火が出る前に消火することができたので、表向きの被害はほとんど出ないで済みました。しかし、消防隊は徹底的に消化活動を行うので、店舗はもちろん、周りの家も水浸しになりました。その原状復帰と周りの家への補償に多額の支払いが発生してしまったのです。

 物理的にも精神的にも大きなダメージを負った山中さんは、一時は本気でお店を閉めることも考えました。しかし、ここでも「もう一回、無理せずのんびりやればいいや」という「のスた」の精神で気持ちを立て直し、建物も修繕して再びお店を復活。とはいえ、「のスた」と「ラ・ズンバ」の2店舗とも続けていくのが難しいと判断して、「ラ・ズンバ」は閉めて再び「のスた」1店舗で営業していくことに決めました。

 かなり初期段階で消火することができて、その後もすぐに営業を復活させたので、この火事の件はあまり知られていません。当時私も知らなくて、今回取材して初めて知った事実でした。

 「のスた」での1店舗営業に戻った後、「太麺」と「細麺」は両方提供されたものの、「ラ・ズンバ」時代のドロドロスープの「細麺」は復活することがありませんでした。山中さん自身が「自分が作ったモノの中で一番旨かった」という程のラーメンですから、悔やまれてなりません……。ところが、今回の取材の中で山中さんは、「あのラーメンをまた復活させて、今の店舗でやろうと考えている」とおっしゃっていたのです! 幻のスープの復活、期待に胸を膨らませて待ちましょう!

 火事という大きなアクシデントを乗り越え、2015年9月、「のスた」は同じ大井町の中で、現在の店舗に移転しました。この物件を紹介してくれたのはお店の常連だった不動屋さんでした。2Fではありましたが、これまでより広い店舗に。個人的には、狭い空間で至近距離でコワモテの山中さんと対峙していた旧店舗より、だいぶ気軽にお店に行けようになりました(笑)

移転後の店舗

移転後に提供されていたラーメン

 その後、2019年の年末から本店を休業して、お弟子さんのお店「社井田」を営業することとなりました。というのも実は、五反田に新たな物件を見つけた山中さんは、今のお店をこのままお弟子さんに譲って、本店を移転させようと考えたのです。

 ところが──

 皆さんご存じの通り、コロナウイルス感染症の問題が勃発し、五反田の移転は白紙に戻さざるを得ない状況に陥ってしまったのです──

 というわけで、中編はここまでです。後編では、コロナ禍で何とか再開を果たした大井町本店の新たなるコンセプトを徹底解説します。新メニュー「守破離」に込められた想いとは? そして、これまで山中さんが一切語ってこなかった「二郎」と「さぶちゃん」への想い。山中さんが「親父さん」「おじさん」と紡いだ「物語」が明らかになります。こんな貴重な話を、私なんかが記すことができて、本当に光栄です! いよいよクライマックスの後編! お楽しみに!

赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)

2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。

百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/

本人Twitter @ekiaka

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