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【フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」】第28回

飛ぶ鳥を落とす勢いの若き天才は「ラーメン好き」ではなかった!? 無知を逆手に築き上げた唯一無二のラーメンブランド キング製麺(東京・王子)(前編)

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 私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏愛に溢れた「物語」を紹介します。

 彼と初めて会ったのは、2016年の年末。当時彼のお店である「らぁめん小池」がミシュランのビブグルマンを獲得されたところでした。

東京・上北沢の「らぁめん小池」

店主の水原裕満さん

 「新進気鋭のラーメン職人とお話しできる」と思っていた私は、いざ彼から聞いた言葉に衝撃を受けました。

 「僕は元々『鳥貴族』で店長をやっていて、ラーメン好きでも何でもなかったんですよ」

 もちろん、ラーメン好きだから美味しいラーメンが作れるワケではありません。ただ私の知っているラーメン店主は、ラーメン好きが高じてラーメン職人になっている人ばかりでした。そんな中で「ラ―メン好きではなかった」と堂々と言い切れてしまう彼の正直さと、ラーメン好きでない人間がどのようにラーメンと向き合ってビブグルマンを獲得することができたのか、俄然興味を持ちました。

 その後、彼は、2018年に「中華そば にし乃」を開店し、こちらもビブグルマンを獲得。

 東京・本郷三丁目のセカンドブランド「中華そば にし乃」

「中華そば にし乃」の一杯

 そして、2019年に「キング製麺」を開店。

 東京・王子のサードブランド「キング製麺」

「キング製麺」の一杯

 瞬く間に人気店の仲間入りを果たし、彼が手掛ける3店舗はいずれもラーメン界を代表するお店となっています。

 今回、私が「物語」を紡ぐのは、今最もノッている新興勢力と言っても過言ではない水原店主の最新店舗「キング製麺」です。

 店主のお名前は水原裕満さん。現在35歳。横浜出身で、中学途中からギターを始め、高校卒業後もフリーターをしながらバンド活動を続けました。しかし、21歳の時にあえなくバンドは解散。音楽活動を続けることに限界を感じたものの、モノ作りに興味のあった水原さんは、革靴をハンドメイドする専門学校に通うことにしました。

 「デザインから製作まで、全てにこだわり抜いた自分だけの革靴を作りたい」。そう思った水原さんでしたが、専門学校に通い、実際に職人さんの元でもバイトも始めてみて、ある現実を突きつけられました。靴の製作は完全な分業制。「一日中ボディと靴底に接着剤を塗り続けるだけ」など、小さな仕事の積み重ねで成り立っていたのです。仮に専門学校を卒業しても、まずは工場に入って細かい作業に追われることになります。それこそ、自分の力だけで一足の靴を製作するなんて、それだけの技術の習得はもちろん、そこまでのオファーが来るような職人になるまでに、気の遠くなるような時間がかかることに気づいたのです。

 もちろん素晴らしい仕事なのは間違いないのですが、そもそも分業の最たるものと言えるバンド活動を辞めた若き水原さんにとって、再び分業の仕事をすることは耐えられないことでした。「自分で全ての工程を手掛ける仕事がしたい」。専門学校を半年で辞めて、再び自分のやりたい仕事を模索しはじめます。

 とは言え、食べていくために稼がないとなりません。水原さんは居酒屋チェーン店でバイトを始めます。ところが……。ここから数年、水原さんにとっての「暗黒時代」に突入します。

 「飲食面白いな」とは思ったものの、なかなか自分の目指すべきものが見つからず、焦燥感に襲われていった水原さん。「頭がおかしくなって完全にヤバイ奴でした」と振り返る通り、バイト先で社員と揉めたり、社員で採用されたお店を突然バックレてしまったり、と社会人としてありえない行動を連発してしまうことに。こうしてバイト先を転々としました。当時を振り返って水原さんは「ご迷惑をおかけした人たち一人ひとりに謝罪したい気持ちで一杯です」と反省しきりです……。

 そんな最悪の暗黒生活の中、水原さんにとって一つ大きな出会いがありました。それがラーメンです。転々とする飲食店の中で、たまたま2つのラーメン店で働きました。どちらも個人店ではなく、チェーン展開やフランチャイズ展開をする企業系のお店。当時全くラーメンに興味のなかった水原さんは、またもや人間関係がうまくいかず、結局2店とも長続きしなかったのですが、「たくさんの料理を覚えないといけない居酒屋と比べて、ラーメンは方向性をちゃんと絞れば、遅いスタートの自分でも何とかなるかもしれない」ということが脳裏に刻まれたと言います。

 そして25歳の時、水原さんの暗黒生活にようやくピリオドが打たれました。冒頭にもあった「鳥貴族」と出会ったのです。今からおよそ10年前のことですから、まさに「鳥貴族」が話題となって、次々と店舗を増やしている時でした。上り調子で勢いに乗っているので、社内も店内も活気に溢れていました。また、「鳥貴族」には独自の独立支援制度があって、店長をやって認められると、オーナーとして独立することができるのも魅力的でした。

 「この場所なら何かできるかも」。一筋の光が見えた水原さんは、心を入れ替えて「鳥貴族」で必死に働き始めます。そして、その努力が認められ、わずか半年で店長を任されるようになったのです。

 店長となった水原さんは、「鳥貴族」の幹部の方々にも顔を覚えられて、話を聞く機会にも恵まれるようになりました。「鳥貴族」は新進気鋭の企業ということもあり、幹部メンバーも皆、現場経験のある生え抜きの人たちばかりです。苦しい時代も経験しており、誰もが「鳥貴族」のことが大好きで、まるで自分が経営する会社かのように、想いや愛を語ります。その姿は美しく、心の底から尊敬できる素晴らしい方ばかりでした。

 ただ、幹部の方々への尊敬の念が募れば募る程、水原さんの中で「『鳥貴族』で働く限り、この人たちには絶対に勝てない」という気持ちも強くなっていきました。ここまで大きくなってからの「鳥貴族」に入った自分はどこまで行っても外様であり、その自分が「鳥貴族」に想いを寄せても、その中心に食い込むことは物理的に不可能だと。

 また、単にオーナーとなって店舗経営がしたいのならば、「鳥貴族」にいれば何の心配も問題もありません。しかし、元々水原さんは「自分で全てを手掛けたい」と考えていました。そこには同時に「自分のオリジナル商品で勝負したい」という想いも込められていたのです。

 そんな水原さんと想いを同じにする人間がもう一人いました。それは、当時同じ「鳥貴族」で働いていた水原さんの彼女でした。彼女もまた水原さんと同じように強い独立願望を持っていたのです。水原さんは何度も彼女と相談して、ついに決意しました。

「『鳥貴族』には感謝してもし尽くせないほどの想いがあるからこそ、あえてここを出て自分たちの力だけで勝負してみたい!」

 約1年半お世話になった「鳥貴族」。これまでのようにバックレる水原さんはもういませんでした。しっかり自分の気持ちを伝え、「鳥貴族」もその想いを汲んでくれて、円満に退社することができました。おかげで今でも、水原さんは「鳥貴族」の人たちと交流があるそうです。

 独立を決めた水原さんが選んだのは、ラーメン店でした。バイト時代に脳裏に刻まれた、ラーメン店でのあの記憶を頼りに、ラーメンで勝負をすることに。実際、バイトしていたお店にお客さんがひっきりなしに来ていたこともあり、「ラーメン店をやればお客さんが入るのではないか」という、甘い考えも頭の片隅にあったと言います。

 ただ、元々ラーメンが好きなワケではなかった水原さんは、「あくまでもラーメン屋は職業としての選択肢の一つ」という考えでした。水原さんにとっては「飯のタネ」に過ぎません。そこには「自分のこだわりの好きな味のラーメンを作ってお客さんに食べてもらいたい」などという熱意はありませんでした。

 そうなると、味を決める際も当時の流行りを追うようになっていました。当時ラーメン界では、つけ麺ブームが続いており、「とみ田」「六厘舎」「一燈」など、有名店は連日大行列。水原さんはそこに乗じる形で、豚骨魚介のつけ麺で勝負することに。しかし、当時の味を振り返ると「豚魚のようなもの」という言い方がふさわしい、決して胸を張れるような味ではありませんでした。

「当時は自分なりに真剣に考えていたつもりでしたが、今にして思えばおままごとのようなものでした。結局ナメてたんですよね」

 味作りと同時に店舗探しも行いました。資金のない水原さんにとって、工事費のかからないラーメン店の居抜き物件であることは必須でした。しかし、ラーメン店の居抜き物件は人気で、物件が出てもすぐに決まってしまいます。そんな中、今の「らぁめん小池」が入っている上北沢の物件は、決して人の往来も多くないため、半年以上借り手が付かず空いていました。そこに不安はあったものの、物件が決まらなければ何もできないので、思い切ってここにお店を出すことを決めました。

 当時の水原さんは、ラーメンに関して経験も熱意もないまま、「とにかく独立したい」という気持ちだけで先走っていただけでした。しかしその傍らには、同じ想いを持って「鳥貴族」を辞めて、一緒に開店準備を進めてきた彼女の存在がありました。開店の1ヶ月前、水原さんはケジメを付ける意味でも、彼女と籍を入れました。晴れて夫婦二人三脚で進むことになったのです。

 こうして2013年11月。水原さん28歳。夫婦でお店をオープンさせました。当時の屋号は「つけめん小池」。

「つけめん小池」時代に提供していたつけめん

 開店時にチラシを打ったことで、当初はお客さんが押し寄せましたが、すぐにそれも落ち着いてしまいました。開店して3ヶ月くらい、赤字ではないが黒字とも言えないという生活が続くことに。夫婦だけでお店をやっていて、人件費がかからないから何とか維持できているだけであって、利益は全くありませんでした。

 「このままではジリ貧。なりふり構っていられない」と、ツテのあった有名店の店主に教えを乞いて手ほどきを受けました。また、別の有名店の工場を見学させてもらってレシピを教えてもらうことも。そうやって周りの人に助けてもらい、自分なりにもこれまで以上に真剣に向き合った結果、格段に味が改善されて客が増えました。

 ところが、一難去ってまた一難。お客さんが増えたことで、今度はオペレーションが追いつかなくなってしまったのです。極太麺は茹でるのも時間がかかり、それを冷水で締める手間もかかります。さらに、売れるにつれて仕込みの量も増え、それによる体力的な負担も大きくなりました。水原さんの手首の痛みもひどくなる一方。経験不足のまま、一気に仕事量が増えてしまい、水原夫婦は完全に回らなくなってしまったのです。限界を感じた水原さんは、ある大きな決断を下すことしました。

「つけ麺をやめよう」

 つけ麺をやめてラーメンにする。ラーメンにすることで、茹で時間も短くなり、麺を締める時間もなくなります。その時間が短縮されるだけで、オペレーション的にも体力的にもぐっと楽になります。非常に合理的な考え方でした。

 しかし、せっかく味が認められて、ファンも付いてきたつけ麺をやめてしまって本当にいいのか。奥さんは大反対でした。「でも、このままでは俺たち二人とも潰れちゃうよ」。最後は水原さんが押し切る形で、ラーメンへの業態変更を決断しました。

 これもある意味、自分の作るつけ麺への過剰なこだわりがなかった水原さんだからこそ、為せる業でした。「つけめん小池」はオープン9ヶ月にして、「らぁめん小池」へと生まれ変わりました。

 ところが、この件をきっかけに、水原さんと奥さんの間には、埋められない溝ができてしまったのです──。

 というわけで、このあたりで前編は終了です。後編では、つけ麺の代わりに水原さんが選んだ煮干しラーメンの開発の苦労や、その後「中華蕎麦にし乃」「キング製麺」と破竹の勢いで店舗展開することができた、その秘密に迫ります。そして、埋められない溝ができてしまった奥さんとの関係は……。後編をお待ちください。

赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)

2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。

百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/

本人Twitter @ekiaka

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