元バンドマンがまっすぐに作り上げた地元愛溢れる一杯 函館塩ラーメン 五稜郭(東京・荻窪)

2020年05月13日 12時00分更新

 私がラーメンを⾷べる上で「味」よりも⼤切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝⼿にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。

 さて、「北海道三大ラーメン」と言えば、拙文を読んで下さっている方で、知らない人はいないと思います。「札幌味噌」「旭川醤油」そして「函館塩」。「札幌味噌」と言えば「すみれ」・「純連」など、「旭川醤油」と⾔えば「青葉」・「蜂屋」など、地元を代表する有名店が関東に出店している(いた)こともあり、馴染みがあることでしょう。一方、それに比べて「函館塩」と言うと、どうしても馴染みが薄いというのが否めません。

 今回「物語」を紡ぐのは、そんな「函館塩ラーメン」の都内唯一の専門店である「函館塩ラーメン 五稜郭」です。

東京・荻窪で函館塩ラーメンを味わえる「函館塩ラーメン 五稜郭」

 「函館塩ラーメン」でありながら、こだわり抜いた圧倒的な美味しさで、今や「東京を代表する塩ラーメンの名店」として高い評価を受けている「五稜郭」。

 お店が誕⽣したのは今から7年前。店主の名前は山本大さん。

店主の山本大さん

 函館出身でありましたが、それまで全くラーメンを全く作ったことがありませんでした。現在52歳なので、開業当時は45歳。一体なぜ、お世辞にもメジャーとは言えない「函館塩ラーメン」で東京で勝負しようと思ったのか? そして、なぜそんな年齢からラーメン店を始めようと思ったのか? そこには地元を愛する真っ直ぐな男の、試⾏錯誤の「物語」がありました。

 山本さんが子供の頃から、地元・函館では、「ラーメンと言えば塩ラーメン」が当たり前でした。給食でもラーメンが出てきたのですが、もちろん塩ラーメン。少々やんちゃだった学生時代、不良仲間とつるんでいつも⾷べていたのも塩ラーメンだったそうです。

 江戸時代末期から開港地として、いち早く外国文化が入ってきた函館。多数の華僑が訪れ、当時の函館の人たちは、彼らのことを「広東さん」と呼んでいたらしく、そこから函館ラーメンは「広東系の塩味の湯麺」をルーツとして生まれたと言われてます。以来、塩ラーメンは函館の人たちに愛され続けているのです。

 山本さんにとって特に思い出深かったのは、「汪(わん)さん」と「星龍軒」というお店。どちらもすでに閉店してしまいましたが、函館を代表する塩ラーメンの名店でした。

 高校を卒業し、大学入学のタイミングで上京した山本さん。当時、東京は「環七ラーメン戦争」と言われたラーメンブーム真っ只中。山本さんも「なんでんかんでん」や「土佐っ子ラーメン」にハマったと言います。特に、福岡博多発の「なんでんかんでん」の濃厚な豚⾻ラーメンに、「同じような地方出身のラーメンと言っても、函館とはこうも違うものか」と衝撃を受けたそうです。

 ただ、ラーメンが好きと言っても、そこまで深くのめりこんだわけではありません。それ以上に山本さんが深くのめりこんだものがありました。それがバンド活動でした。

 大学卒業後もバンドに没頭。真っすぐな男である山本さんは、バイトをしながら夢を追いかけ続けました。実に20年以上。売れないバンドマン生活でした。

 2012年、山本さんが44歳の時。当時家の近所だった、八幡山のあるラーメン店に行った時のことです。そこのオーナー店主に「顔色が悪いな」と声を掛けられました。それをきっかけに少し話し込むと、オーナーから意外な一言が。「店を貸すからやってみないか?」。実はオーナーはもう一軒別のお店を持っていて、ちょうどこのお店を誰かに貸そうと思っていたのです。

 「自分がラーメン店をやる?」。確かにラーメンは好きでしたが、全く考えたこともありませんでした。しかし、これから先の⼈⽣を考えると……、正直、⼼が揺れました。

 結局その話は流れてしまいましたが、「またお店が空いたら声を掛ける」とオーナーから言われたことが頭から離れなかった山本さん。少しずつ試作を始めることを決意しました。

 作るのはもちろん、自分のソウルフードである「函館塩ラーメン」。

 ただ、いざラーメンを作ると言っても、これまでラーメン店はおろか飲⾷店勤務経験すらなかった山本さん。ナント、函館に帰って調べることにしたのです。

 「わざわざ戻ったんですか?」。思わず声が出てしまいました。だって、まだオープンも何も決まってない状況です。そんな状態で、試作のためにわざわざ帰ります?

 今回、山本さんに取材させて頂いて抱いた印象は、とにかく真面目でピュア。改めて、そんな山本さんだったからこそ、一途に真っすぐに「函館塩ラーメン物語」を紡げたのだと思いました。

 実家に帰った山本さんは、「地元のことは地元の人に聞くのが⼀番」と、母親に相談。すると母親が、すでにお店を閉めていた「金谷」というラーメン店の元女将さんと知り合いだったので、紹介してもらえることに。女将さんは当時80歳くらい。おばあちゃんと函館の図書館で待ち合わせ(笑)。ラーメンの作り方を根掘り葉掘り聞きました。

 結果、おばあちゃんは長年の勘でラーメンを作っており、全てが目分量だったことが判明。よって、分量は分かりませんでしたが、何を入れればいいのか材料は分かりました。山本さんはすぐさま東京に戻って、自宅の小さなコンロで試作を始めます。

 何しろ素人が、分量の分からないラーメンを作るわけですから、気の遠くなるような作業でした。あらゆるパターンを試しては失敗……、の繰り返し。とにかく時間がかかったと言います。しかし、真っすぐな男はあきらめません。これまでの人⽣を振り返って、「ここで何とかしなくては」と、ひたすら試作に没頭しました。

 そして幸いなことに、孤独な作業ではありませんでした。というのも、東京にいる函館時代の友達が毎回試食に来てくれたのです。当時の美味しかった「函館塩ラーメン」の共通認識を持った仲間の意見を聞きつつ、山本さんのラーメンは少しずつブラッシュアップされていきました。

 こうして山本さんの執念が実り、2012年の年末に、ようやく仲間たちから、「函館の味がする」と太鼓判を押してもらえるラーメンを作ることができました。ちょうどそのタイミングで、再びあのオーナーから「2ヵ月後にお店が空くけど、どうする?」と連絡がありました。「やります」。山本さんは覚悟を決めました。

 お店が明け渡されるまで2ヵ月。山本さんは再び函館に戻ります。理由は、地元の食材を探すため。再び母のツテで、今度は漁師さんを紹介してもらい、最上級品と言われる「道南産真昆布」を、特別に分けてもらえることになりました。さらにまた別の知り合いからは、「猿払(さるふつ)産のホタテ」を仕入れられることに。猿払のホタテと言えば、国内外の高級料理店のシェフがわざわざ指定して買い付けるほどの逸品です。

 実際、昔ながらの函館の塩ラーメンには、ここまでの食材は使われておりません。豚と鶏と旨味調味料がメイン。山本さんは、この旨味調味料によって出る旨味を、昆布、ホタテ、スルメなどの天然の食材を使って、一から自分で作り出そうと考えたのです。

 真っすぐな男は、バンドマン時代も音質やチューニングに関して一切妥協しませんでした。その感覚そのままに、自分の作り上げたラーメンをさらに良いモノにするために、食材選びにも徹底的にこだわりました。

 また、麺も絶対に函館の麺を使うと決めてました。山本さんは、かつて⾃分が好きだった「汪さん」や「星龍軒」が使っていた出口製麺にお願いすることに。「これまで東京に送ったことがない」という出口製麺でしたが、「東京で函館塩ラーメンの専門店を作る」という山本さんの熱意に快諾してくれました。

北海道を代表する製麺所「出口製麺」

 ちなみに函館の麺は、山本さんが「世界一伸びやすい」と言う程、とても繊細です。東京に空輸する間にも熟成が進んでしまい、縮れてきてしまうそうです。そこで出口製麺の社長さんは、そこもちゃんと逆算して、東京に届くときにベストな状態になるように作った麺を送ってくれているのです。

 こうして、真っすぐにこだわり抜いて、2013年4月、満を持してオープン。ところが……、

 客が来ない。1日10名くれば良い方。散々たる有様。

 ほほ素人が、たいした告知もできていない状況で、決して知名度の高くない函館塩ラーメンで勝負したわけです。当然と言えば当然の結果。

 そして、この状況が2ヵ月経っても、3ヵ月経っても変わりませんでした。かけている手間暇に対して、全く割に合わない。お金もなくて家賃も払えない。精神的に追い詰められてきたある日、重い寸胴を持ち上げた際に腰を痛めてします。これが決定打に。

 「今にして思えば、『最低でも半年くらいはやらないと』って感じですが、当時は全くそう思えなったですね。とにかく自信が持てなくなって、自分のラーメンも美味しいのかどうか分からなくなってしまいました……」

 一途な性格だけに、一度ダメだと思ったら、とことんダメだと思い込んでしまった山本さん。結果たった3ヵ月でお店を閉めてしまいました。

 すると驚くことに、閉店を知ったラーメンファンから、「美味しかったのに残念」「⾷べたかった」「お店を復活させてほしい」というSNSの書き込みが次々と。さらに、雑誌からも「取材したかったのですが、お店をやめてしまうのですか?」という連絡がありました。山本さんが作る「函館塩ラーメン」は、少しずつでしたが、着実に評価されつつあったのです。

 とは言え、「本当に復活させて大丈夫なのか?」。山本さんは悩みました。そんな相談を函館時代の仲間にしたところ、「ラーメンに詳しい奴を紹介する」と、ある一人の男を紹介してもらうことに。それが……、

 『ラーメンWalkerTV2』のMCである、我らが田中貴さんでした!

「ラーメンWalkerTV2」でMCを務めるサニーデイ・サービスの田中貴さんと

 当時山本さんはラーメン業界に疎かったので、バンドマンとして田中さんのことは知っていたものの、田中さんがラーメンに詳しいことを全く知りませんでした(笑)。そんな田中さんからも「さすがに3ヵ月で判断するのは早い」と⾔われ、さらにラーメン業界について⾊々とアドバイスをもらいました。その後も何か困ったことがあると田中さんに電話して、相談に乗ってもらったと言います。

 こうして、田中さんの後押しも受けて、2ヵ月の閉店期間を経て、異例の復活を遂げた山本さん。復活後にすぐ田中さんが自身の連載で取り上げてくれて、11月には『ラーメンWalkerTV2 第60話(https://www.youtube.com/watch?v=dtDL4rbPCgQ)』にも出演しました(この時のMCはまだ田中さんではありませんでした)。そして、2014年に某ゴールデン帯の人気番組への出演をきっかけに、一気にお客さんが増えました。

 元々お店を借りる際にオーナーと「期限は2年」という約束だったので、2015年に現在の荻窪の物件を見つけて移転。この頃には、「東京でも屈指の塩ラーメンの名店」と言われるようになっていました。そして、現在に至ります。

代名詞の函館塩スタイル「ラーメン」

 改めて山本さんのラーメンを頂くと、素朴であっさりとした装いでありながら、芯の部分にしっかりとした旨味と、クセになるほのかな雑味を感じることができます。まさに計算された重層的な作り。これだけ美味しいと、なぜ山本さんが一途に「函館塩ラーメン」にこだわったのかよく分かります!

 また、「麺固めは、やりません」とメニューにも記して、きちんと麺を茹でる函館スタイルにこだわるあたりも、実に山本さんらしいです。

 「よく『こだわってますね』と⾔われますが、他が作れないだけです」と、山本さんは謙遜します。しかし、函館の昔ながらの製法を一途に再現し、その一方で当時使われてなかった一流の食材(しかもそれもちゃんと函館産にこだわって)をちゃんと使用した、まさに「温故知新」な一杯は、山本さんでなければ作り得なかったことは間違いありません。

 山本さんの真っすぐな情熱だけで突き進んだがゆえに、独自の進化を遂げた「函館塩ラーメン」。そんなガラパゴス的進化のもう一つの集大成が、夏限定の「冷やし塩ラーメン」です。

夏季限定「冷やし塩ラーメン」

 函館には冷やしラーメンはなかったのですが、「函館が暑かったら、きっとこんなラーメンが生まれただろうな」というイメージだけで山本さんが作り上げました。どこの影響も受けておらず、まさに山本ガラパゴス島で生まれた一杯は、見た目からオリジナリティに溢れています。今年ももう間もなく登場しますので、お楽しみに!

 また、ラーメンのお供に欠かせないのが「いかめし」。

「いかめし」

 北海道で「いかめし」と⾔えば、イカの中にご飯が詰まった「森のいかめし」を想像する方が多いと思いますが、こちらは函館風のイカの炊き込みご飯。イカがゴロゴロ入った濃いめの味付けは、あっさり塩ラーメンとの相性抜群です。

 「函館塩ラーメン」と真っすぐで一途な「物語」を紡いで7年。山本さんは「毎日疲れるけど楽しい」と言います。

 「似ているんですよね、音楽と。ラーメン作りはライブと同じような気がしていて。厨房はステージで、『お客さんが50人来てくれた、100人来てくれた』とだんだん増えて行って……。お客さんの反応もダイレクトに聞けて、まさにライブハウスでやっている感じがします。あぁ、生きてるなって(笑)」

 バンドマンとしては夢半ばとなったものの、そのこだわりや真っすぐな想いは、ラーメンに引き継がれました。函館の伝統を守りながら、ちゃんと今の味にチューニングされた、唯一無二の「函館塩ラーメン」を生み出したのです。まさに山本さんの人生が詰まった一杯です。

 函館を愛する山本さんは、いつか函館に帰ってラーメン店をやりたいという想いを持っています。しかし、今「五稜郭」には、「東京で本格的な函館塩ラーメンが食べられる」と噂を聞きつけた函館出身の方がよく来てくれるそうです。中には「懐かしい」と涙ぐむ年配の方も。そんな人を⾒てしまうと、やはりもう少し東京で頑張らないと、と気が引き締まると言います。

 今日もライブハウス「五稜郭」で、山本さんは「函館塩ラーメン」という素晴らしい名曲を奏で、お客さんを魅了します!

 是非あなたにも「函館塩ラーメン 五稜郭」のラーメンを、あなたなりの「物語」を紡ぎながら食べて頂きたいです。

 ※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策により、営業日・営業時間・営業形態などが変更になる場合があります。

赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)

2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。

百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/

本人Twitter @ekiaka

この記事をシェアしよう

ラーメンWalkerの最新情報を購読しよう

この連載の記事

PAGE
TOP