私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。
2009年、当時私は『はねるのトびら』という番組のディレクターをやっていました。あの頃は激務の合間を縫って、ラーメンを食べてはストレス解消していました。懐かしいな(笑) 。
そんなある日、仕事場にあったテレビで偶然流れていた夕方のニュースの特集コーナーにふと目が止まりました。「おや!?」。見ると、それは「麺屋武蔵」をめぐるドキュメント。「武蔵」で将来を嘱望される2人の社員にスポットを当てていて、1人が当時「麺屋武蔵 新宿店」の店長を務めていた矢都木(やとぎ)二郎さん。そしてもう1人が、今回の「物語」主人公でもある三浦正和さんでした。
三浦さんは当時、池袋の「麺屋武蔵 二天」の店長を務めていましたが、独立して神田に自身のお店「鬼金棒(きかんぼう)」をオープンさせることに。番組では、そんな三浦さんの奮闘ぶりが描かれていました。
これが本当によくできていて、ラーメン好きの私にはたまらないものがありました。画面の中で展開される三浦さんの「物語」にすっかり感情移入した私は、「いつか私も『はねトび』から独立して、自分の番組を立ち上げられるよう頑張らねば!」と気合を入れ直したのをよく覚えてます。もちろん、すぐさま神田の「鬼金棒」に並んだのは言うまでもありません。
そう、今回私が「物語」を紡ぐお店の名前は「カラシビ味噌らー麺 鬼金棒」です。
現在の「山椒系の痺れブーム」のはるか10年以上前に、「カラシビ」というワードと共に「辛さ」と「痺れ」の魅力をラーメンに落とし込んだ先駆者。その後も国内外に支店を増やし、今も神田の本店は連日大行列という人気ぶり。
そんな先見の明があった三浦さん。そして何より、あのドキュメントで大きな刺激を受けた三浦さんに、いつかは話を聞いてみたいと思いながらも、なかなかそんな機会はありませんでした。しかし、このコラムのおかげでついにその夢が叶ったのです!
店主の三浦正和さんは1973年生まれの現在47歳。東京月島の出身で、実家はもんじゃ焼き屋さんだったこともあり、子供の頃から食べることが大好き。ラーメンも大好きで、高校時代から「なんでんかんでん」(世田谷区羽根木 ※当時)や「熊王ラーメン」(調布市国領)に足繁く通っていました。そして、専門学生時代は、同級生に美味しいラーメンを教えたくて、そして喜ぶ顔が見たくて、しょっちゅうラーメン店に連れ回していました。付いたあだ名が「ラーメン隊長」だったと言いますから相当なものです。
その後、スキューバダイビングのインストラクターを養成する学校に就職。24歳の時にワーキングホリデービザを取得し、オーストラリアに行きました。そして、大好きな海を見ながら今後の自分の人生について考えた末に、「やはり自分の大好きなラーメンを作って、お客さんの喜ぶ顔が見たい!」と決意します。
帰国後、三浦さんは「麺屋武蔵」の門を叩きました。スタイリッシュでコンセプチュアルな「武蔵」こそ、後に自分が独立するために一番勉強になるお店だと考えたそうです。
「武蔵」入店後、新宿店で2週間ほど働いて、今は無き青山店に配属になりました。青山店は新宿店より圧倒的に狭かったこともあり、全てに目が行き届くので、効率よく仕事を覚えられたと三浦さんは言います。
そんな三浦さんに大きな転機が訪れます。青山店の店長が突然辞めてしまい、たった半年で店長に抜擢されたのです。各店舗の店長に任される裁量が大きいのが「武蔵」の特徴だったこともあり、三浦さんにとっては大変ながらも大きな成長の場となりました。
ちなみに、三浦さんが入店した2ヶ月後に、あのドキュメントにも登場する現「武蔵」の社長でもある矢都木さんが入ってきました。2人はほぼ同期入社ということもあり、お互いを意識しながら切磋琢磨していたそうです。
2002年、青山店の店長を2年務めた三浦さんに新たなミッションが告げられます。「武蔵」のセカンドブランドとして新たな店舗を池袋に出すと。そう、「麺屋武蔵 二天」です。
当時の社長から、「宮本武蔵の『二天一流』になぞらえて、豚天と玉天(※当時)という2つの揚げ物で『二天』を表現するというコンセプト」「スープの味は牛骨」というお店の概要は言い渡されたものの、実際の味作りは店長である三浦さんの裁量に任されました。オープンまで半年。三浦さんは青山店を切り盛りしながら、定休日である日曜に牛骨ラーメンの試作を重ねました。
ところがオープン1ヶ月前、想定外の事件が起きます。BSE、狂牛病です。
オープンの1ヶ月前にスープが作れなくなるという絶体絶命の大ピンチ。新たにスープを考えて試作をするにも、日曜は残り4日。チャンスはたった4回しかありません。当然社長に延期を申し出ました。しかし、社長の返事は「NO」。
「武蔵」の考え方は「モノよりコト」。すでに「2つの揚げ物で『二天』を表現する」というコンセプトは出来上がっている。つまり、「コト」はしっかり出来上がっているのだから、オープンはできる、と。
結果、三浦さんはたった4回の試作で、何とかスープを作り上げてオープンに間に合わせました。しかし内心、不安の残る味でした。案の定、オープンしてすぐは「武蔵の新ブランド」という話題性もあって好調でしたが、3ヶ月後にはあっという間に売り上げは半減してしまいました。
三浦さんは「ここからが本当の戦いだ」と、腹を決めます。まず客が少ないことを逆手にとって、空いている時間を使ってひたすらラーメンの勉強をしました。そして、吸収した知識や技術をフル活用して、次々と限定メニューを作り始めたのです。
もちろん、「武蔵」の「モノよりコト」という精神も忘れずに。味を決める前にまず、「なぜこの商品を出すのか?」。その理由を徹底的に考えて、答えを導き出すようにメニューを開発しました。美味しいのは当然。大切なのは「お客さんが楽しめる味作りになっているか」。こうしてコンセプチュアルな限定を次々に生み出したことで、客足は伸びてオープン時すらも上回るようになりました。
「二天」をオープンした時に、三浦さんは「二天のローンは7年で払い終わる」と聞いていました。そして、晴れてローンを払い切った7年後の2008年年末。社長に年末の挨拶に行った際に、「来年独立します」と宣言しました。念願の独立です。
半年ほどかけて、現在の神田の物件を見つけました。そして、今の「カラシビ味噌らー麺」の原型となるアイデアは、すでに「二天」時代から温めていました。
元々食べ歩きが好きで、とある中華料理店で麻婆豆腐を食べた時のことです。そこの麻婆豆腐は、唐辛子だけでなく山椒も大量に使われており、強烈な辛さと痺れに襲われるものでした。山椒のジャリジャリとした食感に衝撃を受けた三浦さんの第一声は「何だコレ?」。そして「これは人に伝えたくなる!」と思ったそうです。
すぐさま三浦さんは、「二天」の限定メニューで、「麻辣豆腐の味噌ら~麺」を作り上げました。唐辛子と山椒を強烈に効かせて、豆腐を揚げ豆腐にして、そこに挽き肉の餡を乗せたインパクト抜群の一杯。賛否両論が激しかったのですが、それこそが話題になっているという証拠。賛否も含めてお客さんが「人に伝えたくなる」と言ってくれたのを見て、確かな手応えを感じました。
思えば「美味しいラーメンを教えたい、喜ばせたい」と友達をラーメン店に連れ回していた学生時代。その想いは、コンセプトやストーリーを大切にする「武蔵」の影響で、より強いものになりました。そんな三浦さんにとって、「面白い、人に伝えたくなる」と思えることは、ある意味「美味しい」よりも大切な要素。この「カラシビ」というコンセプトは、三浦さんの想いを具現化した究極の理想形なのです。
こうして、「カラシビ」という味のコンセプトの下で、「辛いと言えば、その象徴として『鬼』が分かりやすいな」「『辛さ』と『痺れ』だから、まさに『鬼に金棒』だな」「じゃあ、『鬼金棒』と書いて『きかんぼう』と読もう」「店内には鬼のお面や金棒の作り物を飾ろう」と、アイデアがどんどん膨らんで、お店のコンセプトも決まりました。
「さぁ、あとはラーメンの味作りだ」と思ったところに、思わぬ話が飛び込んできます。古巣の「武蔵」から「テレビ局の人がネタを探しているから、お前のことを紹介したぞ」と連絡が来たのです。「武蔵」を辞めて新店を開く三浦さんと、ほぼ同期で「武蔵」に残って頑張っている矢都木さんとの対比をドキュメンタリーで見せるという企画。そう、私が偶然見た夕方のニュースの特集コーナーの話でした。
新店オープンのタイミングで大々的にテレビで取り上げてもらえるなんて、こんなチャンスはなかなかありません。辞めた人間にも寛大な「武蔵」に感謝しつつも、一方で懸念もありました。テレビで取り上げるということは、その放送日に合わせて絶対に開店させていないといけないので、オープン日が決まってしまうということ。
結果これが足枷となり、三浦さんは危機的状況に陥ることになるのです。
実際、過去に「二天」で限定メニューは作ったことはあるものの、新たに出すラーメンは全く違うものにしようと決めていたので、一から味を作るところから始めました。全国のあらゆる味噌を取り寄せてベースとなる味噌ダレ作り。それと同時に、唐辛子、ラー油、山椒による「カラシビ」の味作り。ひたすら試作に試作を重ねました。
そして、オープン3日前。スープに赤い油と黒い油を浮かせて「カラシビ」を表現するラーメンが完成しました。辛さは赤い油、つまりラー油。痺れは黒い油、つまり山椒の油。ところが三浦さん、実はこの2つの油を使うラーメンに納得していませんでした。「クドすぎる」。2つも油を入れることでしつこさが出てしまっていたのです。
しかしこれ以上の妙案が浮かばない。オープンはもう3日後。テレビがあるからオープン日はズラせない。「妥協するしかないのか……」。三浦さんの脳裏に苦い思い出が蘇ります。
「このままでは『二天』の二の舞になる」
あの時も不安を抱えたままのオープンでした。「あれだけは二度と繰り返したくない。しかし……」。絶体絶命の大ピンチ。
その時。
試作していた助手が誤って、ラー油の代わりに唐辛子をスープの入った中華鍋に落としてしまったのです。慌てて助手がその失敗作を捨てようとした時に、三浦さんは直感的に叫びました。
「そのまま混ぜろ」
元々、中華鍋ではなく雪平鍋を使って調理する予定だったのですが、たまたまその時だけ代用で中華鍋を使っていました。
こうして、ラー油の代わりに唐辛子の入った中華鍋で作った偶然の産物が出来上がりました。一口食べると、
「これだ」
ラー油の代わりに唐辛子を使って、中華鍋で調理することで、クドさは消えながらもちゃんと旨味とコクのある「カラシビ」が誕生したのです! もうドラマのような話ですが、こうして現在の「カラシビ味噌らー麺」が生まれたのです!
!さて、味は奇跡的にできたものの、問題は調理場。そもそも雪平鍋で調理するつもりだったので、調理場が中華鍋をちゃんと使える設計になっていなかったのです。施工会社に大至急連絡して、全く使ってない雪平鍋用の設備を捨てて、中華鍋が使える設備に入れ替えてもらうことに。結果、前日ギリギリでなんとか間に合いました。出費も大きかったですが、三浦さんは「二天」の二の舞を演じることなく、100%納得する形でオープンを迎えることができました。
と、あの時のドキュメンタリーで受けた感動を、私の拙文で精一杯再現してみましたけど、いかがでしょうか?
その後も、常に進化しながら「カラシビ味噌らー麺」は現在に至ります。昨今の「山椒系の痺れブーム」の中、その先駆者である「鬼金棒」が変わらず人気店でいられるのは、ひとえに三浦さんが時代に合わせて細かい味の見直しをしているからと言えます。
そのこだわりは凄まじいものがあります。「カラシビ」の辛さは、「少なめ」「普通」「増し」「鬼増し」と4種類から選べますが、「少なめ」「普通」は4種類の唐辛子をブレンドしていて、「増し」だとそこにさらに3種類が加わり、「鬼増し」だとさらに1種類加わります。辛さによって唐辛子のブレンドまで変えているのです。
その理由を「唐辛子は辛味だけでなく、旨味や甘味まで感じられる魔法のスパイス。是非そこまで楽しんでほしいから」と語る三浦さん。ちなみに、そんな三浦さんのオススメの辛さは「増し」だそうです。
また、ただ単に「辛さ」と「痺れ」に特化するだけでなく、下支えとなる味噌にもこだわっているのが「鬼金棒」の魅力です。辛旨の「旨さ」の部分をしっかり作り上げているからこそ、クセになる味となっています。機会があれば是非「カラシビ」を一切抜いた味噌らー麺を食べて頂きたいです。驚くほど深みのある味噌の味に驚くはずです。
さらに三浦さんによると、実はこれまでの「鬼金棒」のラーメンとは全く違う、新機軸を打ち出すラーメンがすでに出来上がっているそうです。今世の中がこのような状況になってしまったので、オープンは少し先になりそうですが、新たなる「鬼金棒」のラーメンに期待大です!
三浦さんは現在、あえてお店には立たずに社長業に専念しています。もちろん、お店が大きくなって経営や事務作業などラーメン作り以外の仕事が増えてきたこともありますが、後進を育てるために、あえて口を出さないように心がけている部分も大きいそうです。このあたりも、自由に任せてくれた「武蔵」の当時の社長の影響が大きいと三浦さんは語ります。
単に味だけではなく、「五感で楽しむラーメン」を標榜する三浦さん。見た目、音、香り、サービス、そして味。この根底に流れるのは「人に伝えたくなる」という感情。その感情を抱いてもらうために、コンセプトとストーリー作りに最も力を入れています。
不勉強がゆえ、今回取材させて頂いて初めて、「鬼金棒」が「物語」を大切にしているお店なのだということを知りました。
そして、そのことを知らずに、私がこのコラムを書く際に打ち出したコンセプトも「物語」。
この2つの「物語」が、実は10年前のあのドキュメンタリーから生まれて、今ここで交わった……なんて言ったら手前味噌すぎて恐縮ですが、私はこの偶然に感謝し、これからも「カラシビ味噌らー麺」を食べ続けようと思います。
是非あなたにも「カラシビ味噌らー麺 鬼金棒」のラーメンを、あなたなりの「物語」を紡ぎながら食べて頂きたいです。
※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策により、営業日・営業時間・営業形態などが変更になる場合があります。
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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