煮干しに全てを捧げた男が初めて語る、知られざる「純愛物語」 中華ソバ 伊吹(東京・志村坂上)(前編)
私がラーメンを⾷べる上で「味」よりも⼤切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝⼿にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。
煮干し。古くからラーメンには⽋かせない⾷材ですが、その分かりやすい味と旨味から、いつしか煮干しに特化したラーメンを作るラーメン店が急増し、今ではすっかり「煮干しラーメン」という1ジャンルが定着しています。そんな昨今の煮干しラーメンブームの先駆け的存在であり、今も他の追随を許さない圧倒的な人気と味を誇る、煮干しにこだわり抜いたラーメンを提供する孤高の名店が志村坂上にあります。
そう、今回私が「物語」を紡ぐのは、「中華ソバ 伊吹」です。
店主の三村悠介さんの煮干しへのこだわりは尋常ではなく、ストイックにラーメン作りに没頭する姿勢はお客さんにもビシビシと伝わっており、店内はいつも独特の緊張感に包まれています。そして、その比類なき煮干しを体感できるラーメンを求めて、連日⾧蛇の列ができているのです。
正直、今更取材を受ける必要など、全くないようなお店です。実際、最近ではほとんど取材を受けていません。それが今回、奇跡的に取材を受けて頂くことができました。しかも、三村さんがこれまでどこでも語ったことのない、煮干しの裏に秘められた知られざる「純愛物語」を披露して下さったのです。
「ドラマ化したい」。
お話を聞いて、私が⼼底そう思った「物語」、開幕です。
三村さんは現在38歳。東京練馬の出身です。中学まではサッカーに熱中していましたが、徐々に道を踏み外し、悪さの限りを尽くし、とうとう高校中退となってしまいます。そして、そのまま暴走族に……。まさに絵に描いたような不良だったそうです。
子供の頃からラーメンがあまり好きではなかった三村さんですが、17歳の時、たまたま友達に連れて⾏かれた江古田の「元祖一条流がんこ十八代目」でラーメンを食べて、「ラーメンって美味いんだ」と衝撃を受けました。ただ、当時それですぐさまラーメンを食べ歩くほどまではハマらなかったと言います。
そんな三村さんの人生を変える大きな転機が訪れたのは、18歳の時でした。1人の女性と出会って、めちゃくちゃ惚れてしまったのです。きっかけはナント、間違いメール。間違いメールをきっかけに、共通の音楽の趣味があることが分かり、そこですっかり意気投合しました。ね、ドラマみたいでしょ(笑)。それで実際に会うことになります。しかし、彼女はいわゆるワルの世界とは⼀切無縁の普通の女性。対する三村さんは当時パンチパーマ! そりゃ彼女はビビるワケです。
当時の三村さんは、不良仲間とつるんでいる環境が普通だったので、最初は彼女が何を怖がっているのか分からなかったと言います。しかし、すっかり彼女に惚れ込んでしまった三村さんは、「この子のためにまともになろう」と決意します。こうして、それまで付き合いのあった仲間との縁を全て切って、彼女と付き合うことになりました。愛の力は偉大です。
ただ、「いざまともになろうにも、学もない自分にできることなど限られている」と、思い悩みながら、とりあえずコンビニのバイトを始めました。彼女のために真⾯⽬に働く三村さん。しばし幸せな月日を重ねましたが、そんな2人を引き裂くような悲しい出来事が起こります。彼女が体調を崩してしまったのです。心の病でした。彼女は療養のために地元の名古屋に戻ることとなり、遠距離となってしまいました。彼女の体調のこともあり、会えるのは1年に1度くらい。2人にとって辛い日々が続きます。
しかし、この現状を打破するために、三村さんは「頑張って自分の店を持とう」と 腹を決めます。21歳の時でした。それは自分の生活を安定させるのはもちろんのこと、自分が店を持っていれば、彼女の状態が良くなってきたら、そのお店で働きながら社会復帰を果たせるだろうという想いもこもっていました。三村さん、漢です!
ラーメン店を開くために、自宅でラーメンの試作を重ねました。そして、26歳の時、三村さんの人生を変えるもう1つの大きな出会いがありました。それが煮干しです。
あらゆる食材を試してラーメンを作る中で、煮干しのラーメンを作った時に、⾃分でも驚くほど美味しく作れました。「このラーメンならいける!」。煮干しが三村さんに大きな自信を与えてくれたのです。しかし、当時を振り返って「大量に入れればそれなりに上手くできてしまうのが煮干し。本当はそこからが難しいのですが、当時の自分は全く分かってなかったです」。とはいえ、三村さんはこれをきっかけに煮干しに惚れ込み、以来一切ブレることなく、一途に煮干しのラーメンを作り続けることとなったのです。
またこの頃、三村さんのことを応援し、バックアップしてくれる力強い仲間が現れました。それは、当時練馬区の東大泉で「麺屋 とらのこ」を開業していた”すーさん”こと、鈴木信介さん。
元々三村さんが「とらのこ」の常連で、2人は同い年だったこともあり意気投合。ラーメン店を開業したいと相談して、試作したラーメンを⾷べてもらって色々アドバイスを受けたり、「鈴木さんのお店を20回手伝って、1回厨房を借りる」という約束で、実店舗での調理経験を積むことができました。「すーさんには頭が上がらない」と今でも深く感謝しています
当時はまだ、大量の煮干しを使って、煮干しの味を前⾯に押し出すようなラーメンがほとんどなかったので、三村さんはひたすら独学で味作りを磨きました。ただ、色々なラーメン店を食べ歩いた中で、1軒だけ影響を受けたお店があったと言います。それが、赤羽にある「麺 高はし」でした。一見、全く違う味ですが、「この味を煮干しで表現したい」と思い、イメージを膨らませたそうです。
こうして、自分のラーメンが見えてきた三村さんは、コンビニのバイトに加え、葬儀関係の仕事も始めて、まさに昼夜関係なく働いて、必死で300万円の開業資金を貯めました。そして、2011年。練馬区の西大泉に念願の自分のお店をオープン。三村さん、30歳の時でした。
店名は当時から「中華ソバ 伊吹」。この「伊吹」の由来は、私もずっと気になっていて、この機会に聞くことができました。伊吹で煮干しと⾔えば、やはり「伊吹いりこ」。そう思っていたのですが、その答えは意外なものでした。
「店名ですか? ……適当です! 『伊吹いりこ』の存在を知ったのもお店を始めたからです(笑)」
実は当初、店名に彼女の名前を付けようかと思っていましたが、さすがに彼女から 「やめてくれ」と却下されたそうです(笑)。それでどうしようかなと考えていた時に、たまたまテレビ画⾯に映っていたゲームのキャラの名前が「伊吹」でした。「じゃあ、これでいいや」。何とも予想外の、本当に適当な理由で、面食らってしまいました。
いざ、自信満々でオープンしたのはいいものの、待ち構えていたのは散々たる結果でした。「麺が固い」「味が濃い」「煮干しが強すぎる」「スープが少ない」。とにかくお客さんからはクレームの嵐。全く売れなかったと言います。このクレームの言葉は、実は今の「伊吹」のラーメンにも通ずる、むしろ今の「伊吹」の旨さを形成する大きな特徴とも言える要素です。つまり、当時から三村さんが目指すラーメンの方向性はブレていなかったのです。しかし、その表現力が追いついていませんでした。「結局、全く知識がなかったんですよね。ただの傲慢だったんです」と振り返ります。
そんな中、付き合いのあった煮干し業者の営業さんが変人で、当時の三村さんには到底使いこなせないような煮干しを次々と勝手に持ってきてくれたのです。当然失敗するのですが、そこから煮干しの種類や特色などたくさんのことを学べたと⾔います。
こうやって学びながら、少しずつ味も良くなってきて、三村さんの圧倒的に濃厚な煮干しラーメンは、1年半くらいかけて、お客さんに受け入れられるようになってきました。
しかし、訪れるお客さんの近隣店舗への無断駐車などをきっかけに、近所から物凄い数の苦情が押し寄せるようになってしまいました。それに嫌気がさしてしまった三村さんは、お店を閉めようと覚悟します。
そのことを鈴木さんに相談すると、「ちょうど東大泉に自分の持つ空き店舗があるから、そこでやらないか?」と提案を受けました。三村さんはありがたく受け入れて、2013年3月、東大泉に移転することにしました。
西大泉の時に比べて、圧倒的に立地が良かった東大泉の店舗に移ったことで、お客さんが一気に増えて、あっという間に行列店に。もちろん立地だけではなく、この頃には三村さんもだいぶ煮干しのことが分かるようになってきました。「煮干しラーメンの美味しい店が大泉学園にある」と、ラーメン好きの間でも噂になってきたのです。
しかし、ここでもまた近隣からの苦情に悩まされることになります。今度は行列と煮干の匂い。こちらも半端じゃないレベルの苦情が来て、最終的には大家さんから「出て行ってくれ」とまで言われる始末。10ヵ月もたなかったそうです。
ただ、捨てる神あれば拾う神あり。ちょうどこの時、この物件を扱う不動産屋さんの社長がラーメンを食べに来て、「このお店を潰すのはもったいない」と、現在の板橋区・志村坂上の物件を紹介してくれたのです。こうして、2014年1月、現在の店舗で新たなスタートを切りました。当然のごとく、連日大行列のお店に。
そんな「伊吹」には、「中華ソバ」「濃厚」「淡麗」という3種類の基本メニューがあります。その中でも、「伊吹」の根幹を支えるメニューであり、三村さんが最も心血を注いでいるのが「中華ソバ」です。
一番簡単そうで実は一番難しい。それは、作る工程の多くの部分が、感覚によるものだからです。特に難しいのが、「煮干しを混ぜるタイミングや力の入れ具合」とのこと。煮干しの個体差や、その日の温度や湿度でも微妙に変わる繊細な作業で、手首に感じる微かな重さの違いを感じ取って、経験によって培われた体内時計をフル稼働しないと仕上げることができません。まさに三村さんにしかできない業。徹底したこだわりです。
一⽅、煮干し以外の食材に関する考え方は、恐ろしいほどシンプル。「スープの旨味は全て煮干しから出している」と言い切る通り、タレにも全くこだわりがありません。「タレは味をまとめるだけのもの」としか考えていないので、タレのブレンドは全て弟子に任せています。出汁に使う豚のゲンコツなどの動物系の食材にも、一切こだわりがありません。「他の具材のこと考える時間があったら、その分、煮干しのことを考えたい」。もうすがすがしいまでに煮干しだけです。
また、濃厚煮干しラーメンのトッピングとしてタマネギを入れたのも、「伊吹」がパイオニアだと言えますが、それも驚くべき理由でした。
実は、三村さんは包丁が苦手で、「ネギを切ると包丁にくっついてしまって煩わしかったので、それで代わりにタマネギにしてみたら、たまたまハマった」。ただそれだけだというのです(笑)。
麺は三河屋製麺。「自分のスープにはこの麺しか合わない」とキッパリ。試作段階では、それこそ「麺 高はし」みたいな麺にしたいと思ったりして、色々な麺を試しましたが、どれも全然合わなかったそうです。その時に三河屋製麺が持ってきてくれた今の麺がビシッとハマり、それ以来ずっとこの麺を使い続けています。
こうして、移転半年で売り上げも今までの倍になり、「ようやく人並みに飯が食えるようになった」と言う三村さん。ようやく、彼女との約束を果たせると思いました。
彼女との約束。それは、「ラーメンで飯を食えるようなったら、迎えに来てほしい」というもの。
18歳の時から数えて、実に15年。彼女に惚れて、彼女のために更生し、ついに彼女を迎え入れられるお店を構えることができました。一途に彼女のことだけを想い、頑張り続けた15年間。ようやく胸を張って、彼女を迎えに行くことができる!
三村さんは、名古屋に向かいました──。
というわけで、前編はこのあたりまでにさせて頂きたいと思います。果たして、15年に及ぶ三村さんの「純愛物語」はどのような結末を迎えるのか? そして、煮干しにこだわり続ける三村さんが作り上げた、前代未聞の究極の「煮干しソバ」とは? 後編もまだまだ「物語」が続きます! 是非ご期待下さい!
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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