常識を覆す衝撃の「真鯛らーめん」! 絶対真似することができないという驚きの理由とは!? 真鯛らーめん 麺魚(東京・錦糸町)(前編)
私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。
それまで私は「鯛のラーメン」と言われると、お吸い物のような上品であっさりとしたものをイメージしていました。しかし、そのお店の「真鯛らーめん」を食べた時に、その概念が根底から覆されました。「鯛でこんな濃厚で強烈な味が出るんだ!」。あの時の衝撃は今も忘れられません。今から4年前、そんな革命的なラーメンを引っ提げて鮮烈なデビューを飾ったお店がありました。
そう、今回私が「物語」を紡ぐのは、「真鯛らーめん 麺魚」です。
店主の橋本友則さんは、現在43歳。
一見、迫力のあるルックスですが、話すととても気さくな明るい方です。千葉県船橋市出身で、子供の頃からスポーツ少年。高校では、多数プロゴルファーも輩出している名門校のゴルフ部でプロを目指すも、圧倒的な力の差を痛感し挫折。高校時代にバイトしていた寿司屋さんに、卒業後そのまま就職しました。
ここで初めてちゃんと魚を触るという経験をしたものの、1日18時間拘束という過酷な職場に、弱冠18歳の橋本青年は絶えることができず、半年で辞めてしまいます。その後バイトをしながら大学受験をして、20歳で沖縄の大学に進学。そこでサーフィンに明け暮れました。卒業して東京に戻るも、2年遅れの英文科卒ではなかなかいい仕事も見つからなかったそうです。そこで、手に職を付けようと、改めて調理師専門学校に通い、調理師免許を取得しました。
免許は取ったものの、知識を得ただけで技術が全く追いついてないと思った橋本さんは、築地に入って仲買業者で働き始めます。ここで1年間、旬な魚を覚えたり、魚の捌き方を教わったり、魚についてみっちり勉強することができました。その時、捌いた魚のアラを全て捨てているのを見て、橋本さんは「勿体ない」と思っていたそうです。この経験が後に大きく役に立つことになります。
その後、働いていた仲買業者の紹介で、和食料理人としてプリンスホテルに採用された橋本さん。新横浜プリンス、新宿プリンスを経て、池袋のサンシャインシティプリンスホテルの最上階の創作料理店で、2万円のコース料理を手掛け、たくさんの高級食材を扱うという貴重な経験を積むことができました。
この頃、同じ池袋でラーメン屋さんをやっていたある先輩とよくつるんでいました。それは当時「麺屋武蔵 二天」の店長を務めていた、現「カラシビ味噌らー麺 鬼金棒」の三浦正和店主です。
ちなみに、三浦さんには以前このコラムで取材をさせて頂いてます(「カラシビ味噌らー麺鬼金棒」の回はコチラ(https://ramen.walkerplus.com/article/4009314/))。
三浦さんとは、橋本さんが沖縄の大学時代に、東京に戻った際に、共通の友人を介して知り合いました。お互いサーフィンが趣味ということで、すぐに意気投合。その縁もあって、仕事が終わった後に、池袋でよく一緒に飲みに行ったそうです。橋本さんにとって、三浦さんは「兄貴のような存在」で、今でも色々相談することも多いと言います。
そんな橋本さんに転機が訪れます。2008年、リーマンショックによる世界的大不況により、日本も不景気に陥ってしまった時のことです。橋本さんが作っていた2万円のコース料理も全く売れなくなってしました。「いずれは兄と割烹料理店をやろう」と計画していましたが、とてもそんな状況ではありません。
将来のことを考えて悩んでいた橋本さんに、三浦さんが「ラーメン屋やれば? 武蔵に来なよ?」と声を掛けてくれました。「ラーメンは単価が安いから、不景気でも大丈夫」と。橋本さんはこの申し出をありがたく受け、渋谷の「麺屋武蔵 武骨外伝」で働くことに。約半年ほど勤めて、ラーメンの作り方と、客さばきの基本を一から教わりました。
そして2009年、橋本さんはお兄さんと共に、習志野でラーメン店「まるは」を立ち上げます。「まるはと言えば鶏白湯」というイメージがありますが、意外にもオープン当初は、尾道の名店「朱華園」を意識した、醤油ベースのスープにゴロッとした背脂が浮かぶラーメンを看板メニューに掲げていたそうです。ところがこれが全く売れず。海老など加えたり、試行錯誤したのですが、全くお客さんの心を掴むことができませんでした。「今なら何がダメだったのかよく分かるんですが、当時はまだ経験も知識もなかったんですよね」と振り返ります。
橋本さんは思いきって味を変えることを決意。選んだのは、開店前の試作でいい感じに作れていた鶏白湯。悩んだ末に尾道系を選びましたが、こちらも自信作でした。すると、当時まだ鶏白湯は今ほど知られる存在ではなかったこともあり、これが大当たり! 「まるは」は一躍人気店の仲間入りを果たしました。
勢いに乗った橋本さんとお兄さんは、一気に多店舗展開を推し進めます。ラーメン店だけでなく、焼き鳥屋やワインバルまで事業を拡大し、お店は6店舗まで増えました。橋本さんは1店舗1店舗丁寧に目を配り、1店舗も赤字を出すことなく、ちゃんとお店を回しました。まさに順風満帆!……のハズでした。
ところが、会社が大きくなるにつれて、二人三脚で一緒にやってきたお兄さんとの関係性が徐々におかしくなり始めてしまったのです。これまでなら直接話していたことを、間に人を入れないと話せないようになってしまい、自分の手掛けたお店のハズなのに、居心地の悪さを感じるようになった橋本さん。結局、お兄さんと袂を分かち、独立する道を選びます。
こうして2016年、錦糸町に「真鯛らーめん 麺魚」をオープンさせます。
「真鯛」のラーメンにしようと思ったきっかけは、それこそ築地の仲買業者で働いている時の忘れられない経験でした。魚を扱う業者はアラを全て捨ててしまう。それを目の当たりにしていた橋本さんは、「まるは」時代に、自身の持つツテを辿って真鯛のアラを安く仕入れて、真鯛の限定ラーメンを作ったのです。
これが爆発的な人気を博し、「これはいける!」という確信を持ちました。その時は白湯ラーメンだったのですが、さらにブラッシュアップを重ね、「清湯や油そばでもいける」と手応えを掴みました。
この「真鯛らーめん」は冒頭にも書いた通り、これまでの鯛ラーメンに対する常識を打ち破る、画期的な味でした。とにかく鯛の旨味が強い。普通これだけ大量の鯛のアラでスープを取ろうとしたら、魚の生臭さが出てしまいそうなものですが、そこはさすが橋本さん。寿司屋、仲買業者、そして料理人としての類まれなる経験と技術を生かして、徹底的に臭みを排除して、クリアかつ濃厚な鯛出汁を作り上げています。
そこに合わせる麺は、カネジン食品の特注品。試行錯誤の末、「和風のラーメンなので、蕎麦っぽさを出すのがいいのではないか」と、全粒粉小麦を使用。ラーメンに全粒粉を使うのは、当時はまだ珍しいことでした。
具材にもこだわり、濃厚な鯛出汁のお口直し的に、青菜、柚子、そして桜木で燻製された香ばしいチャーシューを彩りました。
多くのラーメン好きが、この味に衝撃を受けて魅了され、「麺魚」はオープンするや否や、瞬く間に行列店となりました。
「なんとなく鯛の味ではなく、これぞ鯛!という味を出したかった。万人受けを狙うのではなく、7割からウマイと言われれば、3割からマズイと言われてもいい。大切なのは突き抜けること!」という橋本さんの狙いは、見事に的中。私も初めてお伺いした時は、2時間近く並んで食べました。
さて、これだけ衝撃的に美味しく、そして新しいラーメンが出てきて、瞬く間に大人気になったワケですから、世の流れを考えると、このラーメンを真似するようなお店も出てきそうなものです。ところが、橋本さんは「このラーメンはそう簡単に真似されない!という自信があります」とキッパリ言い切ります。これは一体どういうことなのか? そこには確かに「これは真似できない!」という驚愕の理由がありました。
というわけで、何ともイヤらしいところで申し訳ありませんが(笑)、ここで前編は終了です。気になる続きは来週までお待ち下さい!
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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