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【フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」】第22回

専門店を凌駕する「鶏白湯」ラーメンを開発! そんなエリート中華料理人が抱え続けたコンプレックスとは? 蔭山樓(東京・自由が丘)(前編)

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 私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。

 鶏白湯。2005年頃からにわかに脚光を浴び始め、今や1ジャンルとしてラーメン界で確固たる地位を築いているラーメン。専門店も多数存在します。そんな鶏白湯ラーメンにおいて、私が初めて食べた時に、「うわっ、この鶏白湯はこれまで食べたことない美味さだ!」と感動したのは、ラーメン専門店のものではなく、中華料理店のものでした。

 今回、私が物語を紡ぐのは、そんな衝撃的な「鶏白湯」ラーメンを作り上げた中華料理店、「蔭山樓」です。

鶏白湯の名店「蔭山樓」

 私が初めて「蔭山樓」の鶏白湯を食べたのは2015年。それまで「蔭山樓の鶏白湯は凄い」という噂は聞いていたのですが、やはりラーメン専門店ではないということで、なかなか足が向きませんでした。しかし、とある会食で「蔭山樓」の中華料理のコースを食べる機会に恵まれ、その〆が鶏白湯ラーメンだったのです。一口食べて、衝撃が走りました。しかも、鶏白湯だけでなく、他の料理もどれも独創的で、ビックリするほど美味しかったのです。

「蔭山樓」自慢の4800円のコース。フカヒレや鶏白湯を堪能できる

 「こんな料理を作れるなんて、間違いなく天才だ!」。私はオーナーシェフである蔭山健一さんの料理にすっかり魅せられ、蔭山さんの「物語」に俄然興味をそそられたのです。プロフィールを見ると、「京王プラザホテル」や「筑紫樓」など、そうそうたる名店の料理長を歴任。申し分のないキャリアです。当たり前のように、「エリートシェフ物語」を思い描きながら、取材に臨みました。ところが、蔭山さんの口から紡がれたのは、全くもって真逆の、予想外の「物語」だったのです─。

店主の蔭山健一さん

 蔭山さんは現在58歳。出身は東京・新小岩。逆上がりもできないくらい運動が苦手な少年でしたが、中学で全国大会に行くような強豪校のバレーボール部に入部すると、メキメキと上達。中学、高校とバレーに明け暮れました。

 東京農業大学に進学した蔭山さんはボディービル部に入部。しかし、そこで大きな怪我をしてしまい、ボディービルを断念。蔭山さんは、元々料理が好きだったこともあり、近所のとんかつ屋さんでアルバイトを始めました。ここで運命的な出会いが訪れます。

 それは、このとんかつ屋さんのマスターでした。「とにかく本物を作っていて、それがお客さんにもちゃんと認められていて、料理人の凄さを目の当たりにしたんですよ」。付け合わせの漬物1つから全てが手作りで、細部まで丁寧な仕事を徹底するマスターの姿を見て、蔭山さんは衝撃を受け、すっかり料理に魅了されました。

 「私の人生は、本当に素晴らしい人との出会いに恵まれ続けた人生なんです」。

 この運命的な「人との出会い」によって、蔭山さんの人生は転がり始めます。マスターが大阪の辻調理師専門学校卒だったことに影響されて、ナント大学を辞めて、わざわざ辻調理師専門学校に行くことを決意したのです。

 蔭山さんは専門学校に通いながら、さすがにこれ以上親には迷惑をかけられないと、住み込みで居酒屋でバイトを始めました。そこで同じバイトをしていたオジサンから、「屋台でラーメンを始めるから手伝わないか」と誘われます。専門学校、居酒屋のバイト、そしてラーメン屋台の手伝いとなると、睡眠時間はわずか2時間半。相当キツイ生活でしたが、若さと好奇心が勝り、貪欲に料理に関する経験を積みました。

 専門学校卒業後、柏の老舗中華料理店「知味斎(ちみさい)」に入店。当時の「知味斎」は厳しい修業で有名でしたが、睡眠2時間半の生活をしていた蔭山さんには、全く苦ではありませんでした。それで、「知味斎」の社長にも認められ、社長の口利きで新宿京王プラザホテルの中華料理店「南園」に入ることができました。実は、蔭山さんはずっとホテル中華に憧れていて、専門学校卒業の際も希望していました。ところが、大学中退という経歴が引っかかって、入社が叶わなかったのです。

 「これも『知味斎』の社長のおかげでした。素晴らしい人との出会いに恵まれた、それに尽きます。本当にラッキーなだけなんです」と、蔭山さんは自嘲気味に笑います。

 いやいや、蔭山さん。そんなワケないでしょ!ちょっと経歴を見せて下さいよ!

  • 千葉・柏「知味斎(ちみさい)」にて修業 
  • 東京・新宿「京王プラザホテル 南園」にて修業
  • 香川・高松「京王プラザホテル 南園」にて料理長
  • 東京・恵比寿「筑紫樓(つくしろう)」にて料理長
  • 横浜・ベイサイドマリーナ「ロン(LONG)」にて料理長

 こんな輝かしい経歴、ラッキーだけで歩めるワケないじゃないですか!

 「いや、それが本当にラッキーだけなんですよ」と、譲らない蔭山さん……。うーん、そこまで言うなら、もう少し詳しく聞いてみましょう。

 新宿京王プラザホテルの「南園」で5年ほど働いた時に、社内で高松の「南園」の料理長の募集がかかりました。蔭山さんは「こんなチャンスはめったにない」と、即立候補しました。とは言え、当時まだ29歳。まさかなれるとは思っていませんでした。ところが、他に希望者がおらず、ナント料理長に抜擢されたのです。確かにこれはちょっとラッキーだったかもしれません(笑)。

 しかし、世の中そんなに甘くはありません。圧倒的に技術も経験も不足していた蔭山さんは、いきなり料理長の重責に押しつぶされそうになります。ところが、またもやそんな蔭山さんに手を差し伸べるような、「運命の出会い」が訪れます。

 それが、のちに東京・西麻布で「麻布長江」を開き、各メディアに取り上げられ、時代の寵児となった長坂松夫さん。長坂さんの類まれなる料理センスと技術に刺激を受け、また時にアドバイスをもらうことで、蔭山さんはみるみる成長し、料理長に相応しい技術と経験を備えることができました。

 「長坂さんがいなかったら、料理長の重責に押しつぶされていたかもしれません。地方の高松で、長坂さんほどの料理人に出会えたことは本当にラッキーでした」。

 高松で5年ほどの月日が流れた頃、さらなる「運命の出会い」が。当時、高松の調理師学校で講師も務めていた蔭山さん。そこの卒業生が東京の「筑紫樓」で働くことになり、その縁で蔭山さんは当時の岡田社長とお話をするようになりました。

 「そこで岡田社長から、ちょうど『筑紫樓』の料理長が辞めてしまうという話を聞き、とんとん拍子に私が料理長になることが決まったんです。ちょうど東京に戻って勝負したかったし、新しい四川料理を学べるし、これもラッキー以外の何物でもありませんでした」。

 これまでホテルで広東料理を学んできた蔭山さんにとって、「筑紫樓」の四川料理はとても魅力的でした。特に衝撃を受けたのがフカヒレ料理。これまで蔭山さんもフカヒレは扱ってきましたが、広東料理では清湯スープで仕上げるところを、「筑紫樓」では白湯スープ。

 当時、蔭山さんは34歳。料理人として脂が乗り、さらなる飛躍をしたいそのタイミングで、まさに理想的な有名中華料理店の料理長に就任することができました。そして、この「筑紫樓」で学んだフカヒレ料理が、のちの蔭山さんの大きな武器となるのです。

現在「蔭山樓」で提供されている「ふかひれの姿煮込みそば」。蔭山さんのフカヒレ料理の集大成とも言える一杯

 「筑紫樓」の料理長となって1年が経った頃。さらに、蔭山さんを飛躍させる出来事が起こります。ヘッドハンティングの声が掛かったのです。

 「これはもう本当にラッキーなだけでしたねー」。

 いやいや蔭山さん、しばらくスルーして聞いてましたが(笑)、ラッキーだけでこんな話が来るワケないじゃないですか!しつこ言うようですが、蔭山さんのキャリアは、客観的に見ればそうそうたるものですから!

 オファーを受けたのは、横浜ベイサイドマリーナ。1998年に「日本初の本格アウトレット」として開業し、大きな話題となりました。そのレストランエリアに華々しくオープンする創作中華料理店「ロン(LONG)」の料理長という話でした。

 「筑紫樓」に入ってまだ1年。このまま「筑紫樓」で料理長をやることに、何の不満も不自由もありませんでした。しかし、「ロン」に行けば自分の考案したメニューで、一から勝負することができます。「知味斎」「南園」「筑紫樓」で磨いてきた自分の腕を試す、絶好の機会でした。

 蔭山さんは悩み抜いた末に、「ロン」で勝負することを選びます。結果、蔭山さんがこれまでの集大成とも言える、フカヒレ料理を中心とした創作中華の数々は大好評を博し、「ロン」は一躍話題のお店となります。以降6年間に渡って、蔭山さんは「ロン」の料理長として腕を振るいました。

 とここまで、確かに人の出会いに恵まれているのは事実です。しかし、それは何度も言う通り、ラッキーだけでは片づけられません。蔭山さんの料理人としての腕とセンスがなければ、ここまでの成功は収められないハズ。「実力で手繰り寄せた、絵に描いたようなサクセスストーリー」だと、胸を張るべきです。

 ところが、2004年、蔭山さんは自分が立ち上げた「ロン」を辞めて、ナント突然ラーメン屋さんになってしまうのです。この輝かしい経歴を捨ててまでなぜ? そこには、これまで散々蔭山さんが言い続けてきた、「人の出会いというラッキーに恵まれただけ」という言葉の真意が深く関係していました。それはただの謙遜だけではなく、蔭山さんの中でずっと抱えていたコンプレックスとも言える感情に根ざしたものだったのです─。

 というわけで、ここで前編は終了です。蔭山さんがなぜラーメン屋を始めたのか? そして、申し分ないキャリアの蔭山さんが抱えるコンプレックスとは何なのか? さらに、「蔭山樓」の看板メニューである「鶏白湯」ラーメン誕生の秘密に迫ります!「おい、全然ラーメンの話が出てこないぞ!」って言わないで下さい(笑)。後半で一気に回収します! 来週までしばしお待ち下さい!

赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)

2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。

百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/

本人Twitter @ekiaka

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