名物女性店主が初めて語る……夫婦二人三脚で生み出した孤高の絶品「東京中華そば」 中華そば 多賀野(東京・荏原中延)(後編)
私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏愛に溢れた「物語」を紹介します。
先週に続き、2週に渡って私が「物語」を紡ぐのは、今や東京を代表する「中華そば」の名店「多賀野」。「多賀野」は、横のつながりが強いラーメン業界において、他のラーメン店との接点がほとんどなく、孤高の存在とも言えるお店です。これまで「女性店主・多賀子さん」ばかりにフォーカスが当てられることが多かった「多賀野」ですが、今回多賀子さんの口から語られたのは、夫婦二人三脚の「物語」でした。
※前回(https://ramen.walkerplus.com/article/4022596/)までのあらすじ
新潟出身の店主・髙野多賀子さんは、上京後、ご主人と共に東京を中心にラーメンの食べ歩きを続け、それが高じて自宅でラーメンの試作を始めました。そして、子供の手がかからなくなったタイミングで、ラーメン店を開業することを決意。1996年のことでした。その後、雑誌に紹介されたのをきっかけに、一躍大行列に。そして2000年、現在のお店に移転しました─。
2000年の移転と同じくらいの時期から、「多賀野」の代名詞とも言える「手鍋方式」でのスープ作りが確立しました。「手鍋方式」とは、ベースとなるスープが注がれた丼に、提供直前で別の雪平鍋で炊かれた出汁を追って注いで合わせることです。「瞬間的に引き出されたフレッシュな出汁の香りと旨味をラーメンに加えたい」という考えから、試行錯誤の末、この方法にたどり着きました。
手鍋で合わせる出汁は、煮干しと鰹節。煮干しはそのまま入れていますが、鰹節は出汁パックに入れたものが使われています。この出汁パックにはちょっとした誕生秘話がありました。実は、旧店舗の前の通り沿いに、「亀山商店」という鰹節の専門店があり、そこで香り・旨味共に素晴らしい鰹節が売られていました。ただ、これがなかなか高価で、普通にラーメンに使うのは難しい。「何とかこの鰹節を使う方法はないか」。多賀子さんとご主人は悩みました。その結果、粉にすることで少ない量でも効率的に味を出せることに気づきます。さらに、この粉をパック詰めすることで、均等に同じ味を出すことに成功したのです。
こうやって知恵を絞ることで、美味しいラーメンを安価で提供することができる。常にお客さんのことを考えているお2人だから導き出すことができたファインプレイでした!
ちなみに、「多賀野」では、ゲンコツと鶏ガラと少量の魚介を入れて炊いた「基本のスープ」と、基本のスープを炊いた際に使ったゲンコツをさらに炊いて出した「豚骨スープ」、そして「つけそばのスープ」。この3つのスープを使って、様々なメニューを作っています。特に「基本のスープ」は全てのメニューに使われており、このスープが「多賀野」の美味さを支える屋台骨なのです。このスープが決してブレることないように、ご主人が毎日丁寧に味を作り、多賀子さんと共に全て味見をしています。
「気持ちがブレると味がブレる。怠けたり、欲が出ると、お客さんに全て伝わる」。お2人は常に初心を忘れることはありません。
お2人のこだわりは、食材にも表れています。ほぼ全ての物を国産にこだわって、豚も野菜も近所のお店から仕入れています。そこには、「お客さんにより安心で安全なものを食べていただきたい」という、お2人の強い想いがありました。「地元密着で、取引先の相手の顔が見えるということは、安心・安全という意味で、これほど頼りになることはない」と、多賀子さんは言います。
鶏は近所ではありませんが、ナントお2人が試作をしていた頃からお世話になっている業者さんから取り寄せています。ちなみに、ラーメン屋を始めると告げた時は「本当やるの?」とビックリされたそうですが(笑)、それ以来ずっとお付き合いが続いています。
これらの食材を使って、具材を作るのは多賀子さんです。例えば、メンマは3日かけて戻して、ちゃんと炊いています。毎日コツコツ、同じ作業を繰り返します。「ちょっとでも手を抜けば、お客さんはすぐ分かるから」。多賀子さんの辞書に「妥協」の二文字はありません。「手間は惜しまないの。だって手間はタダだから」。そう言って多賀子さんは笑いますが、いざ実践するのは容易なことではありません。「多賀野」が20余年に渡って行列店でいられるのは、この丁寧な仕事の積み重ねであることは間違いないです。
このように、1つ1つを丁寧に手作りしている中、麺だけは製麺業者から買っていました。その麺も美味しいものでしたし、仕事量がこれ以上増えることを考えると、なかなか自家製麺に踏み切ることができませんでした。しかし、「やはりお客さんに、自分たちがちゃんと管理して手作りした麺を食べてほしい」という想いが日に日に高まってきました。そして2013年、「もうすぐ60歳だし、このタイミングで舵を切ろう!」と、ついに自家製麺にすることを決意します。
製麺を担当するのはご主人。しかし、何せ製麺に関する知識はゼロ。お2人はまず、ラーメン関連の調理器具の展示会に足を運びました。そこで様々な製麺機を見る中で、大和製作所の製麺機が気に入ったので、「どうせ知識もないワケだから悩んでもしょうがない。こういうのは勢いだ!」と、その場で即決してしまいました(笑)。
大和製作所は、研修として1週間、製麺機の使い方を教えてくれるのですが、ご主人はお店の営業があるので、研修に行けません。そこで、ナント当時就職活動中だった娘さんが、その合間を縫って代わりに研修を受けることに。これまで、お小遣いのために、出汁パックを作るくらいしかラーメンに関わったことのなかった娘さんですが、使い方を忠実に覚えてきて、ご主人に伝授しました。
「まさに60(歳)の手習いだな」。
こうして、ご主人の麺との戦いが始まりました。初めのうちは、「麺、変えちゃったの?」「前の麺の方がよかった」など、常連さんからも厳しい声が聞こえました。しかも、当時は夜営業もやっていたので、製麺作業は夜から。その苦労は想像に難くありません。しかし、「全てお客さんのため」と、ご主人は奮闘。多賀子さんは何も有益なアドバイスが送れないので、「ただただ主人を見守ることしかできなかったのが辛かった」と、当時を振り返ります。
ご主人は配合を微妙に変化させながら、愚直に毎日麺を打ち続けました。結果、「前の麺の方がよかった」という声は、聞こえなくなりました。ちなみに、ご主人は試したグラム数や加水率を、毎回お店の壁にメモしており、それが今でも残っています。
この膨大な数字の羅列は、まさにご主人の戦いの歴史。ご主人の執念です。
ご主人の打った麺を食べて、多賀子さんは「無添加でもこんなに美味しい麺が作れるんだ」と感動しました。麺のつなぎには、海藻を使っています。これは、お2人の故郷である新潟県十日町のへぎそばのつなぎにも使われているのと同じ海藻です。海藻が入ることで、独特の舌触りと喉ごしが生まれ、麺が伸びにくくなるという利点もあります。お2人の麺の原体験が、自家製麺にしっかりと練り込まれているのです。
麺も自家製になり、「多賀野」のラーメンは「国産手作り」を実現することができました。その後、前編にも記した通り、2017年に多賀子さんが大病を患い、お店は一時休業するという危機も訪れましたが、無事完治し復帰。多賀子さんは現在、毎日元気にお店に立っています!
さて、「多賀野」と言えば、「とんちぼ」「時雨」「笑歩」など、優秀なお弟子さんを多数輩出していることでも有名です。お弟子さんは基本1人で、だいたい3年くらい修業して卒業。そしてまた新たなお弟子さんを募集する、という形でやっています。お弟子さんに対して、お2人は「隠すものなど何もないから、何でも聞きなさい」というスタンスです。そして、いつも必ず言うのが「常にラーメンのことを考えていてね」。誰よりもラーメンを愛する多賀子さんらしいお言葉です。お2人がストイックにラーメンに向かう姿を間近で見ることができるのは、ラーメン職人を志す者にとって貴重な財産であることは間違いありません。
そして、現在お店で修業中のお弟子さんが、榮田潤悦(さかえだじゅんえつ)さん。36歳です。前職はIT関連のサラリーマンで、「多賀野」の常連だったそうです。
ラーメン好きが高じて、ラーメン職人を目指そうかと悩んでいた時に、ちょうどお店に求人が張り出されたのを見て、弟子入りを決めました。お店に入ってから、もうすぐ2年が経とうとしています。
「毎日が本当に貴重な時間です。ここまで懇切丁寧に教えて下さる方は、他になかなかいないのでは、と思います」
そう語る榮田さんは、このコロナ禍で、お店が店内営業からテイクアウト販売に切り替えた時に、テイクアウトのスープ作りを全て任せてもらったそうです。「実践でこれだけ大きな経験を積ませていただけるなんて思ってもいませんでした」と、本当に感謝しています。これに対して多賀子さんは「だって信頼しているもの」とニッコリ。師匠の器の大きさ、素晴らしいです!
榮田さんもこのまま順調に行けば、あと1年で卒業。「多賀野」イズムを受け継いで、どんなラーメン店を開くのか、今から楽しみです!
テイクアウト以外に、コロナ禍で「多賀野」が新たに試みたことがもう1つあります。それが番号券システム。これまでお2人は「ラーメン店は行列ができてナンボ。行列こそラーメン店の誇り」と思って頑張ってきましたが、このコロナでそうも言ってられなくなりました。そこで、ご主人が色々と調べた結果、現在使用している番号券システムを見つけました。
こちらはリクルートが製作したもので、リクルートもよりラーメン店に特化したシステムを構築したいと考えている中で、「多賀野」のような人気店のサンプルが取れることは大きなメリットだということで、両者の想いが合致。現在ウィン・ウィンの関係で、このシステムを使用しています。
これが本当に便利で画期的! お店で番号券をもらったら、あとはメールアドレスを登録すれば、常にあとどのくらいの待ち時間かを教えてくれて、時間になったらメールが届くというシステム。
LINEを登録することもできて、LINEだとさらに簡単に時間を確認することができます。このおかげで、リアルタイムで状況を確認しながら、所定の時間ピッタリにお店に戻ることが可能になりました。もう全ての行列店にこのシステムを導入していただきたいくらいです!
開業して今年で24年。地元の常連さんから全国のラーメンファンまで、本当にたくさんのお客さんに愛されている「多賀野」。
磐石以外の何物でもない、誰もがそう思うお店だと思います。しかし、髙野夫妻は現状に甘んじることは一切ありません。その証拠に、コロナ禍で店内営業を休止していたタイミングに、貪欲にスープの改良を試みていていたというのです。
「もっと煮干しをうまく使いこなせるのではないか、と思って色々試したのですが、いい感じになりました」
と、多賀子さんは嬉しそうに教えて下さいました。美味しいラーメンを作りたくて作りたくてたまらない! そんな想いが小さな体中から溢れ出ているのが、私にはハッキリと見えました。
そして今回、これまで「多賀野=女性店主の多賀子さん」というイメージが強く、どちらかと言うと、ご主人はサポート役に回っているように思っていましたが、これが大きな勘違いだったということを知ることになりました。取材の中で多賀子さんは、
「味を決めているのは主人です」
ハッキリそう言い切りました。これには少し驚きましたが、多賀子さんがいかにご主人のことを信頼し、尊敬しているのかがよく伝わってきました。そして、その気持ちはきっとご主人も同じだと思います。まさに夫婦二人三脚の歩みです。
今回このような貴重な「物語」をお聞かせいただいて、私は「是非ともお2人のお写真を掲載させて下さい」とお願いしたのですが、ご主人から「俺は表には出ない。店主はお母さんだから」と、丁重にお断りされました。「あえてご主人が一歩引いて、多賀子さんを立てる」。それが「多賀野」のスタイルなのです。ご主人の徹底ぶりに、感銘を覚えました。
「ラーメン」という共通かつ永遠の目標を見つけて、時にぶつかり、時に助け合い、二人三脚で邁進してきた髙野夫婦。お2人が「ラーメンが大好き」だからこそ、お互いに楽しみながら仕事をしているのが凄くよく伝わってきます。そして何より、何年連れ添っても、その想いは褪せることなく、常にお互いを尊敬し合える関係性というのは、本当に理想的な姿です。羨ましいですし、個人的にも見習いたいと思います、自信はありませんが(笑)。
お2人を見ている限り、これからもまだまだ「多賀野」のラーメンは美味しくなるのは間違いありません。さらなる高みを目指して二人三脚で歩み続けるお2人を拝見しながら、これからも「多賀野」のラーメンを楽しみたいと思います!
是非あなたにも「中華そば 多賀野」のラーメンを、あなたなりの「物語」を紡ぎながら食べて頂きたいです。
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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