「がんこ」の教えを元に、多彩なラーメンを作り出す唯一無二の実⼒店 覆麺 智(東京・神保町)
私がラーメンを⾷べる上で「味」よりも⼤切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝⼿にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。
都内某所のスタジオ。まもなくラジオの収録が始まろうとしております。今回のゲストは…… ナント私! そしてメインパーソナリティは……、
「覆麺 智 及川の悪いラジオ、スタート!」
今回私が「物語」を紡ぐのは、ラーメン界の⽣ける伝説・一条安雪さんの「がんこラーメン」の系譜を継ぎながらも、独⾃のラーメンを次々生み出し、絶⼤な人気を誇る一方、ナント店主がウェブラジオのメインパーソナリティまで務めてしまっている「覆麺 智」です。
私も「覆麺 智」のラーメンに魅了された一人。とは言え、店主である及川智則さんは見るからにコワモテ(笑)。そんな及川さんに、勇気を持ってお声がけしました。「しゅっ、取材させて頂けないでしょうか……?」。すると及川さんはしばらく考えた後に、
「いいけど、ラジオ出られる?」
こうして、私がゲストとして及川さんのウェブラジオにお伺いすることとなり、私の取材がそのままラジオで流れることになりました……。「テレビの⼈がラジオに来て、しかも取材をそのまま番組にしちゃうって、他にないでしょ?」とのことでした(笑)。
そもそも、なぜラーメン店主がラジオをやることになったのか? きっかけは⼀⼈の常連さんでした。その⽅はテレビやイベントの音響効果の仕事をしていて、小さなスタジオも所有しています。それで、お店に通ってよく及川さんとお話をするうちに、及川さんのトークが⾯⽩いのと、声が良いことに⽬を付けて、約1年前に「ラジオやりませんか?」と声を掛けたのが始まりだったそうです。
毎回及川さんが、お店に通う有名⼈や交流のあるラーメン店主と、酔っぱらいながらトークを繰り広げる、「覆麺 智」ファンやラーメン好きにはたまらない番組となっています。
すでに、今回の取材の模様はラジオに公開されています。
【悪いラジオ】第19回 ゲスト ラーメンWalker百麺⼈ ⾚池洋⽂
https://www.youtube.com/watch?v=V_EOBSltyAU
ラジオでは語っているけど、こちらの記事では割愛されているお話や、またその逆もありますので、是⾮合わせてお聴き頂けましたら幸甚です。
というわけで、及川さんと私で紡ぐ「悪い物語」、スタート!
改めて、店主の名前は及川智則さん。49歳。東京出⾝。「悪い物語」は、いきなり波乱の幕開けとなります。小学4年生の時に、突然⽗親から衝撃的な質問をされます。
「お前の人生設計は? 高校行のか? 大学行くのか?」
まだ小4ですよ!? お⽗様もなかなかのお⽅です。しかし、及川少年も負けておりません。
「行かない」
「じゃあ、何になるんだ?」
「金持ちになる」
とんでもない親⼦の会話。経営者だった⽗親としては、人生設計を聞く流れで、息⼦に家業を継ぐ⾃覚を持たせる狙いだったのでしょう。しかし、わずか10歳そこらの息子がまさかの拒否。「それはあなたのレールであって、俺のレールではない」と、正座して父親に言い放ったそうです。
そして、約束の中学卒業後、母親の影響で美容師の専⾨学校へ。失礼ながら今のコワモテなルックスからは想像もつきませんが、及川さんが最初に就いた仕事は美容師でした。
しかし、腰を痛めてしまい、2年で美容師を辞めることに。この時まだ18歳、世はまさにバブル全盛。イケイケの世相に⾝を任せて、あらゆる職を転々とした後、27歳の時に会社を⽴ち上げました。晴れて少年期の⼈⽣設計通り、会社経営者として「金持ち」への道を順調に歩み始めた及川さん。
ところが、会社を⽴ち上げて6年後、33歳の時に思い悩みます。それまで「金、金、金」とやってきたものの、そんな毎日に虚しさを覚えるようになったのです。結局及川さんは、順調だった会社を辞めることを決意します。
ちょうどその頃、左足を35針も縫う大怪我をしてしまいました。長引く入院⽣活で、味気のない病院食に飽きた及川さん。⾒舞いに来た後輩にふと、「美味いラーメンないか?」と聞いたそうです。後輩の答えは「早稲⽥にありますよ」。こうして松葉杖を突きながら、早稲⽥へ向かうことに。
そう、それが当時の「がんこラーメン」。及川さんの人生を大きく変えたお店です。
お店に入ると、丸坊主のオジサンが「何⾷べる?」と話しかけてきました。⾔うまでもありませんが、「がんこラーメン・家元」こと一条安雪さんです。当時、お店では限定で七面鳥を使ったラーメンを提供していたのですが、七面鳥で作るラーメンなんて聞いたこともなかった及川さん。はたしてその味は……、
「まあまあでした(笑)」
と、このあたりはさすが、ラジオで鍛えた軽妙な受け答え(笑)。実際はあまりの美味しさに衝撃を受け、その場で塩と醤油と2杯も⾷べたとのことでした。
会社を辞めると決めたまさにそのタイミングで、運命的な出会いを果たした「がんこラーメン」。及川さんは「ラーメン屋になろう」と決意したと⾔います。さらに、そこからの⾏動もまた極端でした。単に会社を辞めるだけでなく、ナント預貯金も全て社員にあげてしまったのです。経営者からあっという間に無一文。「ゼロか百か」。何とも型破りな行動に見えますが、ここに及川さんの哲学が集約されています。
「人に何か物事を頼む時に、余力がある奴は見透かされるじゃないですか。崖っぷちの人間だからこそ、初めて手を差し伸べてもらえるんです」
正論ではありますが、現実にこれを実践できる人もなかなかいませんよね……。こうして退路を断った上で、「がんこラーメン」の門を叩きました。「やるからには本物を作っているお店で修業したい」。その想いは⼀条さんに通じて、無事弟⼦入りを果たすことができたのです。
しかし、いざ修業が始まってみると、これがまた一筋縄ではいきません。一条さんは聞けば教えてくれる人だったので、始めは一言一句逃さぬようにとノートに取っていました。しかし次の日、言うことが全く違うのです。その次の日も違うのです。
例えば塩を入れる時も、「どのくらい入れたのですか?」と聞いても、答えは「こんくらいだよ」。「こんくらいと言われても、自分の手と親方の手では大きさは違うじゃないですか」と食い下がっても、やはり「こんくらいだよ」しか返ってきませんでした。
そこで、及川さんはノートを取るのをやめました。あきらめたわけではありません。気づいたのです。
結局大切なのは自分の味覚。ラーメンは生き物。自身の体調や、温度や湿度によっても、味の感じ方は違ってくるのだから、それに合わせて常に変えていく必要がある。だから毎回、一条さんの言うことが違ったのだと。
それから、及川さんは一切質問しなくなりました。ついにある時、一条さんの⽅から「お前は何にも言わないけど、聞くことはないのか?」と逆に聞いてきたそうです。それでも「ありません」と答えました。すでに「味とは聞いて教えてもらうのではなく、自分で考えて試⾏錯誤して生み出すもの」と思い至っていたのです。
他にも、一条さんの下での修業はとにかく独特でした。しかもいつも突然。例えば、いきなり「国産と中国産のネギを目隠しして食べて当てろ」と⾔われたり。昔ながらの製法を守って、「ざるそば」と「もりそば」とで異なるカエシ(つゆ)を使っている老舗の蕎麦屋さんに行き、そのカエシだけで「どちらがざるか? もりか? 当てろ」と言われたり。ある時は、1⽇に5~6軒ものラーメン店を回りながら、不意に「なんでこの店は美味いのか?」「なんでこの店はこんなに並んでいるのか?」と答えを求められたり。
そのような極めて実践的なアプローチから、多くのことを学ぶことができたのは間違いありません。
修業を終えた及川さんは、物件探しに難航しましたが、約1年かけて今の神保町の物件を見つけました。これで晴れて独立開業……、と思いきや、ちょうどその時、一条さんも自分のお店がない状態になっていたので、ナント一緒にやることに。
こうして、2008年7月、及川さんのお店に一条さんが⼊る形で、「覆麺」がオープンしました。
このお店がとにかく変わっていて、当時私も噂を聞きつけて、すぐにお店に向かったのを覚えています。店頭には「覆⾯」のオブジェを飾り、店内では「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」がエンドレスで流れていました。厨房に⽴つのは、黒い覆⾯と⽩い覆⾯を被った2人の男たち。その黒い覆⾯が一条さんで、⽩い覆⾯が及川さんだったわけです。
この衝撃的なコンセプトは、2人で話し合って作り上げたそうです。一条さんが厨房に⽴つ時点で、それだけでお客さんは色眼鏡で⾒るので、あえて覆⾯で顔を隠したと言いますが、それが返って目立つ結果に(笑)。
こうしてセンセーショナルなデビューを飾った「覆麺」は、あっという間にメディアにも取り上げられて、連日大行列。想定外に盛り上がり過ぎてしまい、一時はお店を会員制にするほどに。そして、2010年には2人は覆⾯を脱いで、素顔で厨房に立つようになりました。
そんなある日、事件が起こります。
「じゃあ!」と一条さんが出て行ってしまったのです。突然のことでした。「あの人はいつも突然だから」と、及川さんは笑います。
しかし、お店にとっては笑い事ではありませんでした。一条さんがいなくなったタイミングで、まずメニューを一新。そして、店名も「及川智則」の一文字を足して「覆麺 智」と変更し、新たなスタートを切りました。ところが、これまでの一条さん目当てだったお客さんは激減。及川さんはお店を守るために、無休で営業し続けました。
「がんこ」の暖簾を引き継ぐという選択肢もなかったわけではありません。しかし、自分の店にこだわりたかった及川さんはあえて「がんこ」を名乗らず勝負することを選びました。
まず、週末に限定メニューを提供し始めて、その後、平日の火曜日にも限定の塩ラーメンを始めたそうです。
そういう小さな積み重ねが徐々にクチコミで広がって、客足が戻ってきました。特に、ヘビーな常連さんがたくさん増えて毎日のように来てくれたので、その人たちを飽きさせないために、毎日日替わりメニューを作り始めました。
なぜ「覆麺 智」には多数の限定メニューが存在するのか? それはひとえに、常連さんを大切にしたいという及川さんの想いの表れだったのです。
毎日違うラーメンを仕込むわけですから、仕込みは全部当日。もし売れ残った場合は全て廃棄。当然ロスも凄いですが、「毎回お客さんとは勝負。そこは妥協できない」と及川さんは⾔います。そうやってお客さんに育てられて10年。「覆面 智」は、現在のお店を築き上げたのです。
旬なモノから珍しいモノまで、日替わりの様々な魚介も、及川さんが市場の仲買業者とぶつかって、ぶつかって、本当にいい食材を入れてくれるルートを自ら切り拓いたから、手に入るようになりました。
そんな及川さんが作る多彩なメニューの中で、多くの常連さんたちに愛されているのが「悪い奴」というラーメンです。「悪い奴」とは、毎週水曜日に提供していて、大量の食材を煮込んだ濃厚スープに、超絶濃口のカエシ(醤油ダレ)を合わせた、脳天に響くようなしょっぱさがクセになる一杯。
このラーメンの源流には、師匠である一条さんが生み出した「悪魔ラーメン」があることは、ラーメン好きには説明不要でしょう。想像を絶するしょっぱさと濃厚さに、一度ハマったら二度と抜け出せなくなる……、まさに悪魔に魂を売ってしまう、そんな危険な魅⼒溢れるラーメンです。
ただ「悪い奴」は、通好みの一杯なので、初めてのお客さんは⾷べることが許されません。ですので是⾮、まずは「覆麺 智」の基本である、阿波尾鶏と牛骨でとった絶品スープの「覆麺ラーメン」を堪能して下さい。
食材の重なりが生み出す唯一無二の旨味が口内で弾けます。特に個⼈的には、醤油ラーメンに⼊っている「豚ネック」という具が、ここでしか食べられない美味しさでたまりません!
さらにオススメは、4⽉~9⽉(つまり今)の木曜限定「冷やしまぜそば」。
スープがジュレ状になった、通称「食べる出汁」を麺と絡めて掻き込むと、そこはもう極楽。そして最後にトドメの⽩トリュフオイル。徹頭徹尾、隙のない美味さです。
こうして「覆麺 智」フリークになった頃、ラスボスの「悪い奴」が手ぐすね引いて待ってます(笑)。
言わずもがな、及川さんのラジオのタイトル「悪いラジオ」も、ここから命名されています。改めて、ここまでの及川さんの「物語」を振り返っても、色んな意味で「悪い奴」という言葉がこんなにピッタリくる人も他になかなかいません。
そんな「悪い奴」の朝は早く、開店時間はナント朝9時。仕込みに至っては、毎日早朝3時からやっていると言うのですから驚きです。
元々「覆麺 智」は11時オープンでした。ところが3年くらい前、ふとお店のある神保町という街の景⾊や人の流れに目を向けてみると、出勤する大勢のサラリーマンが、ちゃんとした朝飯を食べられるお店がないことに気づきました。それで、思いきって開店時間を早めたところ、出勤前や夜勤明けのサラリーマンが押し寄せるようになったというわけです。
また、「覆麺 智」の店内で目に留まるのが、メニューの説明がカラフルに彩られた手書きのポップ。こちらは及川さんと一緒にお店に立っている実の妹さんが書かれているとのこと。
「古い考えだと言われるかもしれないけど、手作りのラーメンなのに、それを説明する言葉がパソコンで打ってあったら、伝わらないと思うんですよね」と語る及川さん。アナログだからこそ出せる温もり。結果的にこの手書きポップが、「覆麺 智」の唯一無二感をより際立てる大きな役割を果たしています。
と、ここまで「物語」を紡いできて、元々「金持ちになりたい」と始まった及川さんが、結果として今、儲けや効率ではなく、その真逆の手間暇かかるラーメンを作っているという現実が浮き彫りに。それはやはり、師匠である一条さんの影響が物凄く強いのだということがひしひしと伝わってきました。それをお伝えすると、しばしの沈黙の後……、
「……ムカつきますよね(笑)」
なんでですか!?(笑)。いやいや、分かってますよ。「悪い奴」である及川さんなりの照れ隠しですよね。
「結局、自分の中の『本物』になりたかったんですよね。それは親方もきっとそうだったんだろうなって。他人に任せず、今なお作っているというのはそういうことでしょ? ……やっぱりムカつく(笑)」
師匠と弟子にしか分かち合えない特別な想いや感情。我々には窺い知ることはできません。しかし、憎まれ口を叩きながらも、一条さんへのリスペクトは間違いなく及川さんの言外に溢れ出てますし、何より一切の妥協のない「覆麺 智」の美味しいラーメンを味わえば、それは痛いほど伝わってきます。
こうして、ラジオのおかげで及川さんとたくさんの「物語」を紡ぐことができました。この軽妙な語り口を、いつまでも聞いていたかったのですが、もう終わりの時間です。
そこで、私は「最後に、何か言い残したことはありますか?」と、及川さんらしいジョークを一言もらって、笑いで締めようと考えました。ところが……、
「今も昔もこれからも、支えて下さるお客様1人1人にありがとうと⾔いたいです。そして最後に、親父、お袋、妹にも本当に感謝しています」
「悪い奴」は最後まで翻弄してくれます。想像もしなかった真摯な一言に、グッと来てしまいました。
「はい、OKです!」
ディレクターの声がかかり、長いラジオ収録と、「悪い奴」への取材は終わりました。
「大丈夫かな? 喋り過ぎちゃったなー」
と笑う及川さん。大丈夫です、しかと受け取りました。
「悪魔」の教えは、確実に「悪い奴」に引き継がれています。この「悪い物語」は、今後さらに独自の進化を遂げながら、紡がれていくことは間違いありません。そう、常に感謝の気持ちを忘れることなく。
是⾮あなたにも「覆麺 智」のラーメンを、あなたなりの「物語」を紡ぎながら⾷べて頂きたいです。
※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策により、各店舗の営業日・営業時間・営業形態などが変更になる場合があります。
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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