専門店を凌駕する「鶏白湯」ラーメンを開発! そんなエリート中華料理人が抱え続けたコンプレックスとは? 蔭山樓(東京・自由が丘)(後編)
私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。
先週に続き、2週に渡って私が「物語」を紡ぐのは、中華料理店でありながら、ラーメン専門店を凌ぐほどに美味い「鶏白湯」ラーメンを提供する「蔭山樓」。前編では、オーナーシェフの蔭山健一さんの中華料理人としての華々しいキャリアを紡ぎましたが、今回はその後編です。
(※前回までのあらすじ)
千葉・柏「知味斎(ちみさい)」、京王プラザホテル「南園」、東京・恵比寿「筑紫樓(つくしろう)」、横浜ベイマリーナ「ロン(LONG)」……。中華料理人として、申し分のないキャリアの蔭山さん。しかし、蔭山さんはそのキャリアを捨てて、突然ラーメン屋さんになることを決意します。一体その理由は? そして、そこには「自分の人生は、人との出会いとラッキーに恵まれただけ」と言い続ける蔭山さんの真意が大きく関係していたのです─。前編はコチラ(https://ramen.walkerplus.com/article/4020195/)
蔭山さんが「ロン」を辞めようと決意した最大の理由。それは年齢の問題でした。当時、44歳。独立して一から自分の店を持とうと動くには、気力体力を考えると今が限界ギリギリだと。とはいえ、なぜにラーメン店? 蔭山さんくらいのキャリアがあれば、本格的な中華料理店を開くことだってできるのではないでしょうか?
「これがラッキーに恵まれすぎてしまった自分の弱いところなんですよ。私は29歳という若さで料理長になることができてしまい、その後お店は変われどずっと料理長をやってきたので、『教わる機会』が他の料理人より少なく、結果料理人としての『引き出し』が圧倒的に少ないんです」。
この発言には謙遜も多分に含まれていると思います。ただ中華料理に人一倍の愛情とリスペクトを持つ蔭山さんだからこそ、自分があらゆる料理を提供する中華料理店をやることが許せませんでした。そして、それが蔭山さん自身のコンプレックスとなっていたのです。
2004年、ちょうど蔭山さんが思い悩んでいたタイミングで、地元の千葉県船橋市でラーメン店を経営していた知り合いから、「体調不良で自分のお店を続けるのが困難になってしまったので、後を継いでくれないか」という話がありました。ラーメンに関しては素人同然の蔭山さん。しかし、いずれにせよ独立して、裸一貫からのスタートを決意した蔭山さんにとっては、望むべき話でした。蔭山さんは大きな決断を下します。
「中華料理の知識を生かして、自分にしか作れないラーメンを作ってみたい」。
こうして、蔭山さんは船橋で自身がオーナー店主となるお店「壱鉄や」を始めました。「ラーメン屋さん」としてのスタートを切ったのです。
ラーメンと言えば、いわゆる中華料理店の清湯スープしか作ったことがなかった蔭山さん。スープの上に浮く油を当たり前のように捨てていましたが、「麺屋武蔵」など有名店に食べに行って、「あれ、油捨てちゃダメなんだ」と学んだそうです(笑)。まさに一からのラーメン作りでした。
そんな蔭山さんに大きな転機が訪れます。そう、「鶏白湯」との出会いです。
ちょうどこの頃、ラーメン業界で「醤油・味噌・塩・豚骨に続く第5スープは鶏白湯」と言われ始めていました。それを聞いた蔭山さんは早速、鶏白湯の先駆け的お店であった両国の「まる玉」に食べに行きました。そこで、あることに気づきます。
「美味い!美味いんだけど、これ何かに似ているな…… そうだ、『筑紫樓』のフカヒレの白湯スープだ!」。
考えてみれば、「筑紫樓」で学び、これまで散々作ってきた「フカヒレのスープ」は白湯スープ。白湯同士、似ていてもおかしくない。
「ということは、もしかしたらその手法を生かすことで、美味しい鶏白湯が作れるのではないか?」。
早速、蔭山さんは試作を重ねました。こうして出来上がった「鶏白湯」は、他のラーメン店の鶏白湯とは、明らかに一線を画す美味しさがありました。まさに蔭山さんにしか作れない「蔭山流鶏白湯」の原型が生まれたのです。
また、蔭山さんは熊本ラーメンなどに使われる、ニンニクを用いて作るマー油にも目を付けて、試行錯誤の末に、特製の絶品マー油を開発しました。そして、醤油ベースの鶏白湯に、このマー油をかけた「醤油そば」も生み出しました。ちなみに、現在の「蔭山樓」でも、塩味と醤油味の「鶏白湯」が楽しめますが、どちらもこの頃の開発したものが原型となっています。
塩と醤油の2種類の鶏白湯を武器に、「壱鉄や」は人気店となりました。ところが、蔭山さんは慣れないお店の経営に失敗してしまい、ナント「壱鉄や」を潰してしまったのです。その後、友人と共同経営で、千葉県鎌ヶ谷市に「鶏坊や」というラーメンを開業。そこでも蔭山さんのラーメンは評判となり、船橋に支店まで出すものの、共同経営者の友人と喧嘩してしまい、結局お店を辞めることに。
「鶏白湯」という、味には絶対の自信があるラーメンは作れたものの、経営がうまくいかない。蔭山さん、この時47歳。いよいよ崖っぷちです……。
そんな絶体絶命のピンチを救ってくれたのも、やはり「人との出会い」でした。知り合いになった人が、たまたま蔭山さんが料理長を務めていた頃の「筑紫樓」に食べに来てくれていた人で、その人から「あの頃の『筑紫樓』の味を出せないか?」と、打診があったのです。もしそれができるならば、その人は自由が丘にビルを持っていたので、そのビルの1階をテナントとして貸してくれると。しかも、お店に出資までしてくれると。こうして、蔭山さんは再び中華料理の世界に戻ることを条件に、千載一遇のチャンスを手にすることができたのです。
後のない蔭山さんは、必死に考えました。「筑紫樓の味」ということで、「フカヒレ」を中心に、蔭山さんが絶対の自信を持つ中華料理のメニューを厳選。特に看板メニューの「フカヒレ」は、美味しいのはもちろんのこと、高価であるというイメージを払拭するような値段で出したいと考えました。その想いに賛同してくれたのが、蔭山さんが「ロン」時代にフカヒレを卸していた業者さんで、昔のよしみで特別に安くフカヒレを入れてもらえることになったのです。
そして、もうひとつの看板メニューとして、「鶏白湯」ラーメンをさらにブラッシュアップして、加えることにしました。鶏の手羽先を約8時間炊いて、旨味と甘味を抽出したスープは、濃厚でクリーミーですが、決してしつこくなくマイルド。鶏の良い所を凝縮した、贅沢な味わいです。そこに合わせるのは、「浅草開化楼」の力強い太縮れ麺。まさに、フカヒレのスープを追求し続けた蔭山さんにしか作り得ない、独創性に富んだ極上の一杯です。
さらに、この「鶏白湯」は味だけでなく、その見た目もオリジナリティに溢れています。この美しい飾り付けのセンスも、蔭山さんの真骨頂。そこには、中華料理人時代の経験が大いに役に立っていると言います。最初の修業先である「知味斎」の社長から「コックはキレイなものを見なさい。最初は分かったフリでいいから」と教えられた蔭山さんは、休日に上野の美術館に通って絵画や彫刻を見て回りました。また、「京王プラザホテル」時代に、ホテルで生け花の講習を受けて、小原流の準師範の資格を取りました。このような経験が蔭山さんの血肉となり、比類なきセンスにまで昇華されているのです。
ちなみに、「鶏白湯」だけではなく、「棒棒鶏」や「エビマヨ」そして「担々麺」など、いわゆる中華料理の王道メニューも蔭山さんの手に掛かると、いずれも一般的なイメージとは全く異なる美しい一皿に変わります。
蔭山さんは、「フカヒレ」と「鶏白湯」の2つを中心に、他の独創的な料理も堪能できるコースを、ランチは3280円、ディナーは4800円という、リーズナブルな価格で実現しました。驚異的なコスパです。もちろん、「鶏白湯」は単品で食べることも可能です。
こうして2009年、自由が丘に「蔭山樓」オープン。自由が丘の駅からも少し離れており、過去5年で5軒も店が入れ替わったほど、決して恵まれた立地とは言えない場所だったこともあり、開店当初はお客さんが入らず苦戦。しかし、テレビで取り上げられたのをきっかけに、「味」「見た目」「コスパ」、全てにおいて秀でた料理が話題となり、徐々にお客さんが増えていきました。
特に「鶏白湯」は、そのあまりの美味しさから、各メディアでも紹介されるようになり、ラーメン専門誌にも掲載されました。そして、「ラーメン専門店を凌駕する美味しさの鶏白湯を出す中華料理店がある」と、ラーメンファンの間でも話題になり、「蔭山樓」の名前も一気に知れ渡ることに。
軌道に乗った蔭山さんは、2013年に恵比寿に支店をオープン。その場所はナント、偶然にもかつて蔭山さんが働いていた「筑紫樓」の元店舗だった場所(「筑紫樓」は別の場所に移転)。偶然ながらも、ここにも運命的な「人のつながり」を感じました。さらに、2016年に表参道ヒルズにも出店。この表参道ヒルズへの出店を仲介してくれたのが、「ロン」のオーナーでした。まさに蔭山さんが、「人とのつながり」を大切に、礼儀を尽くして円満退社したからこその結果です。
この2店舗に自由が丘の本店を合わせた3軒が、現在「蔭山樓」として、レストランスタイルでフカヒレを中心とした創作中華料理とラーメンを提供しています。
他にも、高田馬場に「鶏白湯麺 蔭山」というラーメン専門の路面店。
そして、東京・神奈川・埼玉・名古屋・大阪の複合施設のフードコートに、ラーメン専門のお店を計6店舗構えています。まさに破竹の勢いと言ったところです。
ただ、過去にラーメン屋を潰している蔭山さんは、同じ轍を踏まないようにと、急な拡大路線を取ることなく、1店舗1店舗大切にしています。その表れとして、フードコートも含めて、全ての店舗で一からスープを作っています。セントラルキッチンで一括で作ったスープを使うお店が多い中、従業員をしっかり育てて、各店舗の個性をなくさないようにする、という蔭山さんの方針です。
現在、「蔭山樓」の社員は40名ほど。そこにはナント、「知味斎」「京王プラザホテル」「筑紫樓」「ロン」……過去にそれぞれのお店で蔭山さんと一緒に働いていた、もう何十年にも渡る付き合いとなる料理人が、何人も存在するのです。この事実が、蔭山さんの人柄を如実に表していると言えるでしょう。
ここまで「人との出会い」に恵まれていることを鑑みると、もはやこれはラッキーでなく、蔭山さんの人徳だと言えると思います。蔭山さんがどんな人にも分け隔てなく、リスペクトの気持ちを忘れずに接しているからこそ、自然と人が集まってきているのです。
「自分は、中華料理人として全てが中途半端で、それがコンプレックスでしたが、今ではその中途半端を楽しめるようになってきました。もし自分が何でも完璧に作れる料理人だったら、『フカヒレ』と『鶏白湯』に特化することもなく、結果、中途半端な料理人として終わっていたかもしれません。今は、私にしか作れない『蔭山料理』を作っているんだ、という誇りがあります」。
取材中、終始謙遜しながら、自分のコンプレックスを赤裸々に語って下さった蔭山さんでしたが、その謙虚さと、コンプレックスをバネに頑張れる強さがあったからこそ、「鶏白湯」そして「蔭山料理」を生み出すことができたのは間違いありません。そんな「蔭山料理」に関しても、蔭山さんはこんな想いを持っています。
「もちろん『鶏白湯』も食べてほしいですが、せっかくならば『フカヒレ』も食べてもらいたいです。実はベースは同じスープなので、『フカヒレもラーメン感覚で楽しめるんだ』ということを、是非知ってもらいたいです」。
恥ずかしながら、高級中華をほとんど食べたことがなく、舌が全く肥えてない私は、これまで「フカヒレのスープなんて高いだけで何が美味いんだか分からない」というのが本音でした。ところが、蔭山さんの「フカヒレ」を食べて、見事にそれが覆されました。蔭山さんの「フカヒレ」は、初心者にも分かりやすい、圧倒的な旨味に支配されているのです。なので個人的にも、せっかくならば「フカヒレ」と「鶏白湯」を両方堪能できるコースをオススメしたいです。値段も「フカヒレ」だと思えば大変リーズナブルですし!
最後に、蔭山さんに今後の目標を聞くと、
「これからもブレずにずっと同じものを作り続けて、いつの日か『蔭山樓』が老舗と呼ばれるようになることが目標です」。
と、力強く答えて下さいました。それも決して夢ではないくらい、蔭山さんの「鶏白湯」は圧倒的なオリジナリティと、普遍的な美味しさを兼ね揃えていると思います。
「コンプレックスを逆手に取って、むしろ自分の武器にして戦った『蔭山樓』創始者・蔭山健一」。
そんなことが語られる未来を想像しながら、これからも蔭山さんの「鶏白湯」と「フカヒレ」を食べ続けたいと思います!
是非あなたにも「蔭山樓」の「鶏白湯」を、そしてできれば「フカヒレ」を、あなたなりの「物語」を紡ぎながら食べて頂きたいです。
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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